令和7年6月
先月の朝礼で、『アンパンマン』の原作者であるやなせたかしさんの言葉を紹介しながら「六波羅蜜(ろくはらみつ)」の二つ目にある「持戒(じかい)」について話をしました。
そのやなせさんは、1941年、21歳のときに召集令状によって軍隊に入り、厳しい訓練の後、中国に派兵されています。日本の戦争は聖戦であり、正義のための戦いなのだと教えられ、そう信じていたので、命を落とすのは嫌だけど、正義のためなら仕方がないと思っていたそうです。
ところが、戦争が終わると正義は逆転します。日本は悪となり、正義の戦争をしたのはアメリカやイギリス、中国だということになりました。「ある日を境にひっくり返ってしまう正義なんて、そんなものが本当の正義と言えるのか」、「どの国も、自分たちこそが正しいと思って戦争をする。だが、戦争は結局、殺し合いだ。それぞれがいろいろな理由をつけて戦うが、正義の戦争などというものはない」、やなせさんはその思いを強くします。
では、この世にひっくり返ることのない「本当の正義」と言えるものはあるのか。考え続けていたある日、道端で幼い兄弟が一つのおにぎりを分け合って食べている光景を目にしました。戦後の混乱の中、服は汚れていましたが、二人は幸せそうに笑っていました。そのとき、やなせさんは気がついたそうです。「本当の正義とは、おなかがすいている人に、食べ物を分けてあげることだ」と。戦争は人を殺すことですが、食べ物を分けることは人を生かすことです。これが、後に誕生する『アンパンマン』の原点となったということです。
やなせさんの言う「本当の正義」とは、「六波羅蜜」の一つ目にある「布施(ふせ)」に通じています。布施とは、「見返りを求めず、思いやりの心で他のために自らの力を使う」ということです。
「お布施を包む」という表現があって、「お布施」というとお金をイメージする人もいるかもしれません。しかし、布施はお金だけではありません。食べ物もそうです。「無財(むざい)の七施(しちせ)」といって、金品でなくても、心で表すことのできる布施もあります。「七施」というのは七つの布施ということですが、その中に「眼施(げんせ)」、「言辞施(ごんじせ)」があります。眼施はあたたかい眼差し、言辞施は思いやりのある言葉です。
ある日曜の朝の電車に、赤ん坊を抱いたお母さんが乗っていました。車内は比較的すいていましたが、赤ん坊がぐずっていたので、お母さんはドアの近くに立っていました。君たちにも、赤ん坊の頃、そんなことがあったかもしれません。
お母さんはあやし続けますが、赤ん坊は一向に泣き止みません。そのとき、初老の男性が「静かにせい」と怒鳴りました。お母さんはいたたまれない思いだったに違いありません。
車内はピリピリとした雰囲気になりました。しかし、そんな中で、お母さんと赤ん坊を心配しながら見ていた年配の女性がいました。その女性は、電車を降りるとき、お母さんと目が合うと、「気にしないで。みんな味方だからね」と声をかけたそうです。
女性は、臆病者の自分にできるのはそれくらいだった、しかし声をかけることができて自分も気が楽になったとふり返っていますが、そのときの女性のあたたかい眼差しと思いやりのある言葉を、そのお母さんはきっと心強く思ったはずです。
布施──「見返りを求めず、思いやりの心で他のために自らの力を使う」ということは、人を生かすということであり、それによって自らの心も豊かになります。人を生かすことで、自らも生かされるのです。
眼差しや言葉だけではありません。和やかな笑顔、困っている人の手伝いをすること、席を譲ることなど、心で表すことのできる布施は他にもあります。学校日誌に、朝、三宿小学校の前で、君たちが自ら立ち止まって小学生に先に道を渡らせていると、よく日直の先生が書いてくださっています。それもりっぱな布施です。そのとき君たちは、見返りや損得のことなど考えてはいないと思います。
布施は心のあり方一つで、誰でも、どんなときでも実践できるものです。見返りを求めず、思いやりの心で人を生かす「本当の正義」を、実践によって追究してみてほしいと思います。
(「朝礼」より)