令和7年5月
人は何のためにこの世に生まれてきたのか。それは、たった一度の人生を自他ともに、自分も他の人もともに幸せに生きていくためです。教室に掲げてある「明日をみつめて、今をひたすらに」、「違いを認め合って、思いやりの心を」という学園の2つのモットーはそのための指針です。そして「六波羅蜜(ろくはらみつ)」、すなわち「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」はそのための6つの実践です。「波羅蜜」は、「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」の「波羅蜜」で、「到彼岸(とうひがん)」、つまり苦しみの多い此の岸、此岸(しがん)から、心の平和な彼の岸、彼岸に到るという意味があります。
今日は、この「六波羅蜜」の2つ目にある「持戒」~戒(かい、いましめ)を持つ~ということについて、話をしておきたいと思います。
今、NHKの朝の連続テレビ小説で『あんぱん』というドラマが放送されています。『アンパンマン』の原作者である故やなせたかしさん、暢さんの夫妻をモデルとしたドラマです。
やなせさんは、創作のプロフェッショナルが大切にするべきことは、世の中に害毒を流さないことだと言います。
工場から無責任に有害な廃液を流せば公害になるように、創作の仕事でも、流せば精神の害になるものがある。今はバイオレンスやポルノなどが多すぎる。人の心の奥には悪を喜ぶ気持ちも潜んでいるから、作者はついそれらに頼りたくなる。しかし、プロフェッショナルなら、そうした手法を使わずに、読者に面白がってもらえるものをつくらなければならない。反則せずに勝つべきなのだ。人に害を与えてはいけない。誰かのために役立つことをしなければいけない。
やなせさんは、自らそういう戒を持って作品をつくってきました。
人はとかく私利私欲に走って、損か得かという価値基準で行動してしまうことがあります。そうなると、自分の得になることは悪いことでもしてしまう、得にならないことは善いことでもしないということになってしまいます。最近よくニュースになる闇バイトなどはまさにそうです。
しかし、行動の価値基準は、損か得かではなく、善いか悪いかに置くべきです。だから、やなせさんは「人に害を与えてはいけない。誰かのために役立つことをしなければいけない」と言って、売れるために人の精神に害を及ぼすような手法を使わなかったのです。
君たちが持っている生徒手帳の1ページ目には、「七仏通誡の偈」が書いてあります。
諸(もろもろ)の悪(あしきこと)は作(な)すこと莫(な)く
衆(もろもろ)の善(よきこと)は奉行(ぶぎょう)し
自(みずか)ら其(そ)の意(こころ)を浄(きよ)くする
是(こ)れ諸仏(しょぶつ)の教(おしえ)なり
人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはせず、善い行いは進んでする。誰でも言える当たり前のことです。しかし、誰でもいつでも実践できているかというと、そうではありません。損得勘定を優先して、善いか悪いかは二の次にしてしまうことがあります。
ならば、「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行する」と自ら戒を持つ必要があります。損得勘定にとらわれず、人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはしない、善い行いは進んでする、意識してその形を調えていく。そこに心を使っていると、次第に心が調って、たとえ悪いことをしてしまいそうな環境にあっても、悪い行いはできず、善い行いは進んでするようになっていきます。
自分を大切に、人を大切に、自分には厳しく、人には温かく、たった一度の人生を自他ともに幸せに生きていく、それが「旃檀林の獅子児」が歩むべき道です。「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行する」、この当たり前の戒を当たり前に実践できるように自らを鍛えていく。そして、旃檀林の獅子児の道を、頭を上げ、胸を張り、大地を踏みしめて、堂々と闊歩していってください。
(「朝礼」より)