令和6年1月

令和6年が始まりましたが、元日には能登半島地震があり、甚大な被害が生じています。2日には羽田空港で、被災地支援の物資を搬送するための航空機と日本航空機が衝突するという痛ましい事故もありました。地震に起因して、突然に大切な命を失われた方々、辛く悲しい思いをされている方々、不自由な生活を強いられている方々が大勢いらっしゃいます。心よりお悔やみとお見舞いを申し上げたいと思います。そして、この場で君たちとともに、亡くなられた方々に黙祷を捧げたいと思いますので、ぜひよろしくお願いします。
今一度、姿勢、そして心を調えてください。
─黙祷─
ありがとうございました。後ほど、被災地支援のための募金の呼びかけが生徒会からあるということです。こちらも協力をお願いしたいと思います。

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さて、この正月、初詣に行った人も多いと思います。私の家の近くにも神社がありますが、毎年参詣者で長蛇の列ができています。

新しい年のスタートにあたって願いを起こすというのは、大切なことです。それは、自分自身に関する願いについても同様です。時の流れが用意してくれた折角の節目です。これを漫然と迎えてしまっては、実にもったいないことになります。
ただし、自分自身に関する願いを起こすとき、「こうあってほしい」と願うのか、「こうありたい」と願うのか、そこには大きな違いがあることに注意が必要です。
「こうあってほしい」という願いには、自分の意志だけではどうにもならない部分があります。たとえば、宝くじが当たってほしいと願ったとき、宝くじを買うところまでは確かに自分の意志です。しかし、買った後でそれが当たるかどうかは、もはや自分の意志ではどうにもなりません。
一方、「こうありたい」という願いは、100%自分の意志の範囲にあります。「こうありたい」、その主語は自分自身です。ならば、そのために自分は何をするのか。願いを叶えられるかどうかの責任者は他の誰でもなく、自分自身だということになります。

ある高校生の話です。その高校生は1年生のとき、先輩の凜とした姿に魅了されてなぎなた部に入部しました。楽しく稽古をしていましたが、その年の秋に臨んだ初めての大会では、恐怖で何もできないまま負けてしまいました。その後の大会でも、同級生の部員たちが勝ち上がる姿を見ているだけで、取り残された思いをしていたそうです。だから、3年生になったとき、「自分もみんなと上位の大会に出たい」と強く願いました。そして見事、その願いを叶えたのです。それは、基礎から徹底的にやり直し、得意技を磨き上げ、自分だけの試合の仕方を身につけたからだといいます。自分の意志の範囲にあることにひたすら精進したのです。それは、高校生にとって大きな自信となったはずです。

今年は辰年です。「辰」に当てはめられているのは、十二支の中で唯一架空の生き物である「龍」です。龍は、その天に昇るイメージから、「成功」や「発展」の象徴ともされています。
ただし、漫然と日々を過ごしていて、ある日突然、成功したり発展したりすることはありません。
年の初めに当たり、自分自身を高めるため、「こうありたい」という願いを強く起こし、自分の意志の範囲にあることに果敢に挑戦する。ひたすらに精進する。成功も発展も、その積み重ねによってこそ、もたらされます。

最後に、6年生は、今週末の共通テストからいよいよ大学入試が始まります。「明日をみつめて、今をひたすらに」という学園のモットーのとおり、それぞれに「明日」をこの手につかむのだと切なる願いを持って、君たちの意志の範囲である「今、ここ」をひたすらに精進していることと思います。明日をみつめることをあきらめず、魂を込めてその精進を続けていく限り、試験直前だろうが何だろうが、君たちの力はグッと伸びていきます。それが現役生の強みでもあります。
「冬来たりなば春遠からじ」、旃檀林の獅子児としての自信と誇りと気概とを持って、たくましくこの冬に立ち向かってください。学園は君たちを応援をしています。