令和5年6月

 私たちは何のために生まれてきたのか。それは、たった一度のこの人生を、自他ともに、自分も他の人もともに、幸せに生きていくためです。世田谷学園には、“Think&Share”──『天上天下唯我独尊』の教育理念のもと、教室にも掲げてあるように、「明日をみつめて、今をひたすらに」、「違いを認め合って、思いやりの心を」という2つのモットーがあります。これらは、そのための指針となるものです。そして、これも教室に掲示してある「六波羅蜜(ろくはらみつ)」、すなわち「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」「智慧(ちえ)」は、そのための6つの実践です。

 この六波羅蜜の2つ目に「持戒」があります。戒を持つということですが、その軸となるのは、生徒手帳の1ページ目にある言葉が意味している「人が見ていようが、見ていまいが、悪い行いはしない、善い行いは進んでする」という当たり前のことです。ところが、その当たり前のことを当たり前にするということがなかなかできません。

 先日、ある会合で、学園の近くにお住まいだという1人の男性から声をかけられて、学園の生徒についてのエピソードを伺いました。
 その男性が、国道246号線の歩道をお子さんと歩いていたところ、前方を歩いていた本校の生徒が、あろうことか、歩道にゴミを捨てたのだそうです。男性はその生徒をとがめましたが、生徒はそれを無視して行ってしまいました。男性は、「あー」と、とても残念な気持ちになったそうです。
 それを聞いて、私は「申し訳ありません」とお詫びをしました。ところが、その話には続きがありました。少しして、その生徒が踵を返し、「すみません。ゴミを捨ててしまいました。僕の捨てたゴミはどこにいったでしょうか」と男性に謝ってきたのだそうです。その日はとても風が強く、残念ながらゴミはどこかへ飛んでいってしまっていて、もはや拾うことはできませんでした。しかし、そのまま行ってしまうこともできたであろうに、自らの非と向き合おうするその姿に、男性はとても爽やかな気持ちになったということでした。それで、その会合に私がいることを知って、150人近くいる出席者の中から、わざわざ私を探して声をかけてくださったのです。

 道にゴミを捨てるのも、とがめられたのに無視をするのも、悪い行いであることは言うまでもありません。その生徒は、その時点では、当たり前のことを当たり前にできていませんでした。しかし、男性にとがめられた後、彼は自分の中で、本当にこのままでよいのかと自問自答したのだと思います。そして、「悪い行いはしない、善い行いは進んでする」という持戒の軸を取り戻すことができました。
 引き返して、「すみません」と言うことは、きっと勇気のいることだったに違いありません。しかし、それは使うべき勇気であり、その勇気を使って自分の非と向き合えたことで、男性の気持ちを残念なものから爽やかなものに変えただけでなく、その生徒自身も、自分で自分を認めてあげることができたのではないか、そしてこれからも、「悪い行いはしない、善い行いは進んでする」という軸に基づいて行動することができるのではないかと思います。

 この話は、六波羅蜜の実践を心がけようとすることが、人生を自他ともに幸せに生きていくことにつながるということの一例です。朝礼や法要のときに、努めて「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」についての話をしていきたいと思っていますが、大切なことは、君たち一人ひとりがその実践を心がけること、そして、当たり前にできるようになることです。誰の人生も、たった一度きりです。その人生を、自分も他の人もともに、幸せに生きていってほしいと思います。

(「朝礼」より)