令和8年11月
世田谷学園は、1902(明治35)年に、「曹洞宗第一中学林」として創立してから、今年度で125周年という節目を迎えました。しかしながら、先ほど理事長先生のお話にもあった通り、その起源は1592(文禄元)年に曹洞宗吉祥寺山内に誕生した「旃檀林(せんだんりん)」という学寮にあります。この旃檀林という名称は、中国・唐の時代に永嘉玄覚大師という方の書かれた「証道歌」という、悟りの境地を表した書物の中の一節に由来しています。「旃檀林に雑樹なし、鬱密深沈(うつみつしんちん)として獅子のみ住す」、これがその一節です。
「旃檀」とは、インド原産の香木=香りを発する木のことで、この一節には、「香り高い旃檀の林には雑樹、雑木は一本もなく、そこに住むのは百獣の王である獅子、ライオンだけである」という意味があります。学園の起源となった学寮は、「旃檀林」と名乗ることによって、「この学舎は、純粋で清潔な香り高い学舎であり、ここに学ぶ者は、獅子の如く自信と誇りと気概とを持った優れた人物ばかりである」と、高らかに宣言したことになります。世田谷学園は、この「旃檀林」の流れを汲む学園です。だから、ここに学ぶ君たちのことを「旃檀林の獅子児」と呼ぶのです。
ところで、「旃檀林の獅子児」には、目指すべき3つの人間像があります。「自立心にあふれ、知性をたかめていく人」「喜びを、多くの人とわかちあえる人」「地球的視野に立って、積極的に行動する人」ということです。簡潔に言えば「賢く、豊かで、たくましい人」ということですが、「豊かな人」とは「違いを認め合って、思いやりの心を」持つ「慈悲の人」、「たくましい人」とは「明日をみつめて、今をひたすらに」生きる「勇気の人」ということができます。この「慈悲」や「勇気」を携えるとき、「賢い人」は「智慧の人」となります。
「ちえ」は「知る」に「恵む」で「知恵」と書くこともあれば、「知る」の下に「日」を書く「智」と、ほうき星の別名がある「彗星」の「彗」という字の下に「心」を書く「慧」で「智慧」と書くこともあります。辞書ではこの2つを特に区別していません。しかし、仏教学者のひろさちや先生という方は、前者を「凡夫の知恵」、後者を「ほとけさまの智慧」と言って、区別されています。「旃檀林の獅子児」が目指す「智慧の人」とは、言うまでもなく「ほとけさまの智慧」を持った人のことです。
「賢い」には、「ずる賢い」「悪賢い」という言葉があります。「凡夫の知恵」にも、「悪知恵」という言葉があります。どんなに知性が高くても、ずる賢い人、悪賢い人の知性は悪知恵を生み出します。悪知恵は、『さるかに合戦』のさるのように、自分の損得勘定ばかりを優先して、人を陥れて理不尽に苦しめます。しかし、「ほとけさまの智慧」は、自他、つまり自分だけでなく他の人も幸せにします。それは、「ほとけさまの智慧」が「慈悲」や「勇気」を伴っているからです。2学期の始業式で話した「感謝」の心は、その種となるものです。
君たちは「旃檀林の獅子児」です。学園の歴史は、その継承の歴史です。「燈を伝える」という「伝燈」をキャッチコピーとして創立125周年を記念する様々な事業を進めてきたところですが、そのコンセプトは「過去への敬意と感謝、未来への希望」ということでした。ならば、「感謝」を種に「慈悲」や「勇気」を育んで、「智慧」の光で世の中を明るく照らす。「旃檀林の獅子児」の道を堂々と闊歩して素敵な未来を切り拓いていく。君たちがその誇りと気概を我が心とすること、それこそが、創立125周年の最も大きな記念となります。
(「創立125周年記念式典」より)
