令和8年6月

 君たちの教室に掲示してある「六波羅蜜」は、たった一度の人生を自他ともに、自分も他の人もともに幸せに生きていくための6つの実践です。「波羅蜜」は、「摩訶般若波羅蜜多心経」の「波羅蜜」で、「到彼岸」、つまり苦しみの多い此の岸、此岸から、心の平和な彼の岸、彼岸に到るという意味があります。先月の朝礼ではその1番目にある「布施」について話しましたが、今日は、2番目の「持戒(じかい)」について話をしたいと思います。

 「持戒」は「戒めを持つ」と書きます。
 生徒手帳の1ページ目に『七仏通誡(しちぶつつうかい)の偈(げ)』があります。とても大切なことだから、1ページ目に書いてあります。
諸(もろもろ)の悪(あしきこと)は作(な)すこと莫(な)く
衆(もろもろ)の善(よきこと)は奉行(ぶぎょう)し
自(みずか)ら其(そ)の意(こころ)を浄(きよ)くする
是(こ)れ諸仏(しょぶつ)の教(おしえ)なり
 人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはせず、善い行いは進んでする。当たり前のことです。誰にでも言えることです。しかし、いつでもそれを実践できているかというと、そうとは限りません。人が見ていなければ、このくらいはいいだろうとルールやマナーをないがしろにしてしまったり、本当はすべきことなのに面倒くさいから、恥ずかしいからとやらずにいてしまったりすることがあります。
 だから、「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行する」のだと自ら戒を持つことが必要になります。
 戒を持つから、悪い行いはせず、善い行いは進んでするという、目に見える形を調えていくことができます。そこに心を使うことで、人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはできず、善い行いはせずにはいられない、そういう心がつくられていくのです。形と心は密接な関係にあります。悪をなして悪の心をつくるのではなく、善をなして善の心がつくっていく。それが、「自ら其の意を浄くする」ということです。

 このことに関連して、もう一つ心がけてほしいことがあります。それは、善い行いをしてもそれをひけらかさず、万が一悪い行いをしてしまったらすぐに告白して潔く謝るということです。人は兎角、善い行いをすると自慢したがり、悪い行いをしたときは素知らぬ顔をしたくなります。しかし、自分はこんなに善い行いをしたと自慢ばかりをしていれば、人から疎ましく思われます。悪い行いを隠しても、いずれは発覚して余計に激しい非難を浴びることになります。自らの品格を自ら貶めることになってしまうということです。
 先日、三軒茶屋の横断歩道をお年寄りの方が渡り切れずに信号が赤に変わってしまったところ、学園の生徒4~5名が介助をし安全に保護していたというお褒めのご連絡を、その様子をご覧になっていた方からいただきました。悪い行いはせず、善い行いを進んでするように努めていれば、自然と人に知られるようになるものです。

 「明日をみつめて、今をひたすらに」、「違いを認め合って、思いやりの心を」、この2つのモットーを胸に、自分を大切に、人を大切に、自分には厳しく、人には温かく、たった一度の人生を自他ともに幸せに生きていく、それが「旃檀林(せんだんりん)の獅子児(ししじ)」のあるべき姿です。そのために、「諸の悪は作すこと莫く 衆の善は奉行する」、この当たり前の戒を当たり前に実践して、自ら其の意を浄くしていく。旃檀林の獅子児の道を、頭を上げ、胸を張り、大地を踏みしめて、堂々と闊歩していってください。

(「朝礼」より)