令和8年2月

 ただ今、大本山永平寺をお開きになった高祖承陽大師、すなわち道元禅師のお誕生を記念する高祖降誕会の法要を営みました。

 道元禅師は、源頼朝が亡くなった翌年にあたる正治2年、1200年、陰暦の1月2日、陽暦に換算して1月26日に、京都で公家の子としてお生まれになりました。ところが、8歳の頃にお母様を亡くされてしまいます。
 無常を感じるようになった道元禅師は、13歳のときにお母様の願いでもあった出家を決意し、比叡山に入ります。14歳のときには得度を受け、本格的な仏道修行を始めますが、ここで一つの疑問にぶつかります。それは「顕密の二教、ともに談ず。『本来本法性、天然自性身(ほんらいほんぼっしょう、てんねんじしょうしん)』と。若(も)しかくの如くならば、即ち三世の諸仏、甚(なん)に依ってか更に発心して菩提を求むるや」、つまり「仏教では、人間は生まれながらにしてすでに法性=仏性という『かけがえのない価値』を持っているという。それならばなぜ三世の仏様方はあらためて発心して修行をし、悟りを求める必要があったのか」というものでした。「仏性」は仏の性質ということです。この疑問は、少年らしい素朴な疑問であると同時に、修行の根本にかかわる鋭い疑問でもありました。
 ところが、どんなに書物を読んでも、人に尋ねても、納得のいく答を得ることができません。24歳のときには宋の時代の中国に渡り、そこでようやく天童山景徳寺の如浄禅師という、求めてやまなかった真のお師匠様との出逢いを果たします。如浄禅師のもとで修行に励まれた道元禅師は26歳で悟りを開き、28歳で帰国、45歳のときに越前国、現在の福井県に大仏寺、のちの永平寺を開いて、道心あるお弟子の育成に力を注がれました。

 では、「本来本法性、天然自性身」に対する疑問はどう解決したのか。道元禅師は、『正法眼蔵』の中でこう示してくださっています。
 「この法は人々の分上に豊かにそなわれりといえども、未だ修(しゅ)せざるには現れず、証(しょう)せざるには得ることなし」
 「修せざる」の「修」は「修行」の「修」、「証せざる」の「証」は「証(あかし)」という字で、「悟り」のことです。つまり「『本来本法性、天然自性身』、法性=仏性というかけがえのない価値は、一人一人が間違いなく持ってはいる。しかし、それは修行努力しなければ現れてこないし、悟りを開かなければ光り輝かないのだ」ということです。仏性は誰もが必ず持っているということを、知識として知っているだけでは何にもならない。大切なことは、平常心のレベルを高くして、自らの内に持つ、仏性、かけがえのない価値をひたすらに磨いて、磨き続けて、それを光り輝かせるという実践です。

 世田谷学園には「明日をみつめて、今をひたすらに」というモットーがあります。これが、自らの内にもつ仏性を光り輝かせるための重要な指針となります。だから君たちは、このモットーを自らのモットーとして常に追究してください。
 ただし、ここでもう一つ重要なことがあります。それは、どのような「明日」をみつめるのかという、その方向性です。
 アブラハム・マズローという心理学者は欲求5段階説を唱えて、人は、食欲、睡眠欲といった生理的欲求が満たされると、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求と、より高いレベルの欲求を志向するものであり、最後に「自己実現欲求」に至るとしています。ただし、それが単なる独りよがりなもの、社会性や他者を無視したものであってよいはずがありません。だから、マズローも晩年、さらに高いレベルの「他己実現欲求」があると補足しています。「他己実現欲求」とは、他者の幸せの実現をサポートしたいということです。君たちは、自他を越え、この「他己実現」と「自己実現」を両立させてください。別々のものではなく、一つにしてください。

 世田谷学園には、「違いを認め合って、思いやりの心を」というもう一つのモットーがあります。君たちの「明日」は、君たちの成長とともに進化します。それが、独りよがりな「明日」ではなく、「違いを認め合って、思いやりの心を」もった「明日」への進化であってほしい。その「明日」をみつめ、自らの内にもつ仏性、かけがえのない価値をひたすらに磨いて、磨き続けて、自らが放つ光で社会を明るく照らす人となってください。

(「高祖降誕会」より)