令和7年7月

私たちの「いのち」は、縦、横につながる数え切れないほどのご縁のお蔭で、「今、ここ」にあります。それは決して当たり前のことではなく、奇跡的なことです。精霊祭は、「今、ここ」にある、この「いのち」の不思議に思いを致し、自らの生き方を見つめ直す機会を与えてくれる法要でもあります。

一人の男子高校生とのご縁で、心を救われた女性がいます。
ある年の8月、女性のご主人がくも膜下出血で倒れました。意識は戻らず、医師からは「年内はもたない」と告げられて、女性は絶望の淵をさまようような思いでいました。病室でご主人と長い無言の時間を過ごす女性にとって、せめてもの気分転換は、時折、病棟の一角にある談話室に行くことでした。その窓際にはいつも、受験勉強に励む青年がいて、その前向きな姿から力をもらって、病室に戻るのが女性の日課でした。
医師の言葉に反して、ご主人は何とか年を越すことができました。元日に訪れた静かな談話室で、女性は初めて青年と言葉を交わします。青年は高校2年生であり、入退院が多いためにすでに受験勉強を始めているのだと教えてくれました。女性も、ご主人のお見舞いに来ていること、その病状のことを話しました。ところが、女性が「年を越せるとは思ってなかったの」と溜息交じりに呟いたとき、青年は急に表情を曇らせ、厳しい口調でこう言ったそうです。「本人が必死で生きようとしているのに、家族があきらめてどうするの」と。
意表を突かれて動揺を隠せないでいる女性に、青年はあわてて謝罪の言葉を述べると、自分は医者から余命半年と言われている、しかし、「医者になる」という夢を病気なんかのためにあきらめたくない、だからいのち尽きるまで努力し続けるのだと、力強く語ったそうです。
努力が報われるかどうかではなく、未来を見つめ、熱心に何かに取り組むことができるかどうか、それが人生の質を決めるのだと、女性は青年の生きる姿勢から教えられたといいます。そして、たとえ望む結果が得られなくても、今、自分にできる最善のことをしよう、ご主人の人生の最終章を笑顔で飾ろうと決心したそうです。
しかし、青年に救われたのは、この女性だけではありませんでした。彼の不撓不屈の精神に触発されて、多くの患者さんが前向きに治療に取り組むようになっていました。
女性はこのときのことを振り返り、「希望」という最良の薬を患者さんたちに処方した青年は、すでに立派な医師であった、そして女性自身にとっても心の主治医として、永遠に生き続けるであろうと語っています。
人が亡くなったあとに残るものは、集めたものではなく、与えたものです。青年は、意図せずとも、女性や患者さんたちに「勇気」や「希望」を与えました。精いっぱいの努力をして生きようとする姿勢には、それほどの力があるのだということです。

「今、ここ」にこの「いのち」がある。その事実を大切にして、「明日をみつめて、今をひたすらに」生きる。そのこと自体に大きな価値があります。それを「精進」と言います。

先ほどお唱えした『修証義(しゅしょうぎ)』の冒頭に、「生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明らむるは仏家一大事(ぶっけいちだいじ)の因縁(いんねん)なり」とあります。「明らめる」とは、「断念する」ということではなく、「明らかにする」ということです。では、いかにして生死(しょうじ)を明らかにするのか。青年の生き方がそれを教えてくれています。やらない理由を探すのではなく、自らを律して、「今、ここ」、「今、ここ」「今、ここ」と、誠心誠意の精進を重ねていく。不思議の「いのち」を授かっている二度とはないこの人生を、一人ひとりが明らかにしてほしいと思います。

(「精霊祭」より)