令和4年3月

 仏教には「三性(さんしょう)の理(り)」という教えがあります。「三性」とは、「善」、「悪」、そして「無記(むき)」という三つの性質のことで、「無記」は善悪以前のもの、あるいは善でも悪でもないもののことを言います。

 昭和の初めの頃、東京に説教強盗と言われた泥棒がいたそうです。戸締まりの悪い家に押し入っては現金や預金通帳を脅し取り、ゆうゆうとたばこを吸いながら、「戸締まりがいい加減だ」、「庭が暗い」、「犬を飼いなさい」などと戸締まり用心についてひとしきり説教をしてから引き上げるのが常でした。それで、説教強盗と呼ばれるようになったということですが、強盗をしておきながら説教をしても、被害者にとってはありがたいはずもありません。1日に2ヶ所に押し入るなど、犯行もエスカレートして、社会は騒然となりました。
 ところが、あるとき現場に残した指紋がきっかけでとうとう逮捕されました。裁判では無期懲役を言い渡されましたが、模範囚であったこともあり、18年で仮釈放となりました。すると、その後は犯罪とは決別して、あちこちで、強盗に遭わないための講演会をするようになったそうです。手口については警察よりも詳しいわけですから、その講演は好評を博しました。
 では、彼の何が変わったのか。彼は「戸締まりに関する豊富な知識」を持っていて、それを犯罪に使っていました。しかし、服役してそれを消去したわけではなく、使う方向を「悪」から「善」へと変えたのです。戸締まりの知識そのものは善悪以前のものであって、「無記」です。つまり重要なのはそれを使う「心」だということです。

 君たちが学ぶ知識についても、同じことが言えるのではないかと思います。知識を蓄えることは大切なことです。それは思考や創造のもととなり得ます。だから君たちには、ぜひ意欲的に知識を吸収してほしいと思います。
 ただし、どんなに知識を蓄えても、あるいは知性を高めても、それを使う心のレベルが低ければ、せっかくの知識や知性が、人々を不幸に陥れることになってしまうかもしれません。最悪の場合、今、東欧で起きている戦争のように、多くの尊い命が失われることにもつながりかねません。

 ですから、自らの心を高める努力がとても大切になります。では、そのためにはどうしたらよいか。それは、教室の掲示板にも掲げてある、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を実践することです。「波羅蜜」は、「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」の「波羅蜜」で、「到彼岸(とうひがん)」(彼岸に到る)という意味です。苦しみの多い此(こ)の岸、此岸(しがん)から、心の平和な彼(か)の岸、彼岸に到る。「六波羅蜜」はそのための6つの実践です。すなわち、

 布施(ふせ)── 見返りを求めず、思いやりの心で他のために自らの力を使う。
 持戒(じかい)── 人が見ていようが見ていまいが、悪い行いはしない。
 忍辱(にんにく)── 苦難にあっても、感情に流されず、耐え忍ぶ。
 精進(しょうじん)── するべきことに対して最善の努力を積み重ねる。
 禅定(ぜんじょう)── 落ち着いた心で集中してものごとにあたる。
 智慧(ちえ)── 先入観や思い込みにとらわれず、真実を見極める。

 この6つをすべて完璧に実践するのは簡単ではないと思います。しかし、少しずつでも実践していくように努めることで、必ず心は高まっていきます。
 折しも、今年はちょうど今日までが春のお彼岸です。1年間、朝礼や儀式の中で、六波羅蜜のそれぞれについてできる限り話をしてきたつもりですが、この機会に改めてその実践を心がけてほしいと思います。

(「修了式」式辞より)