令和4年12月
令和4年が終わろうとしています。
今年は「寅年」でした。十二支に使われている「寅」という漢字は、弓矢を両手で引き絞る形を表した象形文字であり、矢が放たれる準備段階であることから派生した、「動き始め」、「胎動」という意味がある。2年生以上の諸君には、今年1月の3学期始業式で、そういう話をしました。
「明日をみつめて、今をひたすらに」「違いを認め合って、思いやりの心を」のモットーのもと、自らを向上させるための行動ならば、動き出してみる、挑戦してみるということ、これはとても大切なことです。
ところが、何かをやってみたい、やってみよう、やるべきだ、そう思っても、なかなか動き出せない、挑戦に踏み出せないということがあります。始める前からできるかできないか、結果を考えすぎてしまったり、他人からどう見られるかを気にしてしまったり、心の中に何かしら不燃性の雑念があって、せっかくつきかけた思いの火を消してしまうのだと思います。
では、その火を消さないようにするにはどうしたらよいか。それは、勇気という燃料を注ぐことです。
先日、新聞の投書欄に、こういう話がありました。投稿者は60代後半の女性です。彼女は難病を患い、週に2回、訪問看護師さんに来てもらっているそうですが、ある日、1人の看護学生が実習のために同行してきました。その学生さんに、女性は驚きを覚えました。なぜなら、年齢を聞くと60歳だということだったからです。会社員として40年間働いて、子供は独立し、親も看取った、しかし、のんびりした老後は望まない、自分の人生だから好きなことをやりたいと看護師の道を志した、そう話す学生さんに、投稿者の女性は頭が下がる思いがしたといいます。その学生さんも、若い同級生について行けず、単位を落として気落ちすることもあるということでしたが、女性が学生さんの向上心にどれだけ救われたかを話すと、元気が出たと言って帰って行ったそうです。
この学生さんも、勇気という燃料を心に注いで、60歳という年齢で看護師を志し、看護学生として動き出したのだと思います。動き出したからこそ、投稿者の女性とも出会い、互いに救われたり元気づけられたり、心を豊かにし合う経験もできました。
もちろん、動き出したからと言って、すべてがうまくいくとは限りません。この学生さんが若い同級生について行けなかったり、単位を落としてしまったりしたように、壁にぶつかることも、失敗をすることもあると思います。しかし、壁にぶつかる経験、失敗の経験からしか学べないこともあります。動き出さなければ、挑戦しなければ、成功どころか失敗することもできないのです。
今年の入試説明会では、体育祭の動画と、獅子児祭の前日に私がジェットコースターに試乗したときの動画をご覧いただいています。3年ぶりの中高合同となる体育祭も、獅子児祭も、初めから成功が約束されていたわけではありません。しかし、その中で君たちは、勇気を持って様々な挑戦をしてくれました。うまくいったこともあれば、苦しんだこともあったと思いますが、だからこそ見ることのできた景色があったはずです。そして、説明会で君たちの挑戦をご覧になった受験生や保護者の方々は、君たちに勇気づけられたのではないかと思っています。
1年の終わりに、あらためて、動き出す、挑戦することの意義を確認させてもらいました。ぜひ、心についた思いの火に勇気という燃料を注ぐことをいとわないでほしいと思います。
(「2学期終業式」式辞より)