令和3年11月

 創立120周年を記念する祝祷法要に、君たちには教室から参加してもらいました。

 世田谷学園は、明治35年(1902年)、当時の私立学校令に準拠した「曹洞宗第一中学林」としてスタートを切ったことをもって創立としていますが、その前身の誕生は、豊臣秀吉の時代までさかのぼります。文禄元年(1592年)、当時江戸神田台にあった曹洞宗吉祥寺の山内に、後に「旃檀林(せんだんりん)」と呼ばれるようになった学寮が誕生しました。それが本学園の前身であり、江戸時代は昌平坂学問所と並び称されたとも伝えられています。吉祥寺は明暦の大火で焼失し、その後、幕府による江戸再開発で駒込に移転しましたが、山門には現在も「旃檀林」の額が掲げられています。
 この流れを汲む曹洞宗第一中学林は、大正2年(1913年)、駒込の吉祥寺を離れてこの三宿の地に移転してきました。その移転開林式が行われたのが11月12日であり、大正13年(1924年)に校名を「世田谷中学」と改称したときに、この日を創立記念日と定めています。ちなみに、2年前から学園のマスコットキャラクターとなった「ざふまる」くんが生まれたのは、この年の12月8日、成道会の日だとされています。
 その後「世田谷中学」は、第2次大戦後の学制改革にともなって新制の「世田谷中学校高等学校」となり、昭和58年(1983年)には、私学であることをより明確にするために「世田谷学園中学校高等学校」と改称して、現在に至っています。

 さて、創立記念に当たり切に願うのは、君たちが「旃檀林の獅子児」としてりっぱに成長していくことです。
 「旃檀林の獅子児」には、3つの人間像があります。1つ目は「自立心にあふれ、知性をたかめていく人」、2つ目は「喜びを、多くの人とわかちあえる人」、3つ目は「地球的視野に立って、積極的に行動する人」、簡潔に言えば「賢く、豊かで、たくましい人」ということですが、「豊かな人」とは「違いを認め合って、思いやりの心を」巡らす「慈悲の人」、「たくましい人」とは「明日をみつめて、今をひたすらに」生きる「勇気の人」ということです。この「慈悲」や「勇気」を携えるとき、「賢い人」は「智慧の人」となります。

 「ちえ」は「知る」に「恵む」で「知恵」と書くこともあれば、「知る」の下に「日」を書く「智」と「ハレー彗星」や「へール・ボップ彗星」の「彗星」の「彗」という字の下に「心」を書く「慧」で「智慧」と書くこともあります。一般の辞書ではこの2つを特に区別はしていません。しかし、仏教学者のひろさちやさんという方は、前者を「凡夫の知恵」、後者を「ほとけさまの智慧」と言って、区別をされています。「旃檀林の獅子児」が目指す「智慧の人」とは、もちろん「ほとけさまの智慧」をもつ人のことです。

 「賢い」という言葉には、「ずる賢い」、「悪賢い」という言葉があります。凡夫の「知恵」にも、「悪知恵」という言葉があります。どんなに賢くても、どんなに知性が高くても、ずる賢い人、悪賢い人はそれを悪知恵に使います。自分の損得ばかりを考えるあまり、人を陥れて理不尽に苦しめてしまうこともあります。「知性」はそれだけでは、悪になってしまうこともあるということです。しかし、ほとけさまの「智慧」には、そうしたマイナスのイメージの言葉はありません。それは、「慈悲」や「勇気」を伴っているからです。

 学園は、君たちの道の歩き方のことなどで、お叱りをいただくことがあります。該当するのは一部の生徒ではありますが、普段、クラスでも指導されているとおり、公共の場で、お互いを慮って、ルールやマナーをわきまえた振る舞いを心がける、誰もがそれを当たり前のこととしなければなりません。ただ、一方でお褒めや御礼のご連絡をいただくこともあります。
 ご近所に住んでいらっしゃる女性からは、その方がふらついて道で転んでしまったときに、学園の生徒が駆け寄って荷物を拾い、「大丈夫ですか」と声をかけ、立ち上がるのを助けくれた、ところが、御礼を言う前に立ち去ってしまったので、「ありがとう」を伝えていただきたい、そういうお電話をいただきました。
 つい最近も、ある施設の方からお電話をいただきました。その施設の入り口にたくさんのゴミが捨てられていたので1人で片づけていると、多くの大人が素通りしていく中で、学園の生徒が手伝ってくれた、本当にありがたかったということでした。
 彼らの行いは、慈悲や勇気の発露です。慈悲の心、勇気の心は、発揮することでさらに育っていきます。

 君たちは「旃檀林の獅子児」です。「知性」を高める努力を続けるとともに、ぜひ毎日の生活の中で「慈悲」や「勇気」を育んで、「智慧の人」として、堂々と人生を闊歩してほしいと思います。

(「創立記念式典」式辞より)