令和2年11月

 今月21日は、永平寺と並ぶ曹洞宗のもう一つの大本山、總持寺をお開きになった太祖様、すなわち瑩山(けいざん)禅師のお誕生日に当たります。
 道元禅師が亡くなられてから15年後の文永元(1264)年、永平寺のある越前国、現在の福井県でお生まれになった瑩山禅師は、自ら出家の志をご両親に申し出て、わずか8歳で永平寺に上って沙弥となり、13歳で得度を受けて正式な僧侶となりました。これには、熱心な観音様の信者であったお母様の存在が大きく影響したようです。以来、ひたすらに仏道修行に打ち込むとともに、62歳でお亡くなりになるまで、總持寺をはじめいくつかの寺院を開き、多くのお弟子を導かれて、現在の曹洞宗の基礎を築かれた瑩山禅師を、曹洞宗では、道元禅師とともに両祖様とお呼びしています。

 ところで、瑩山禅師は若い頃、諸国行脚の旅をされていたことがあります。最初に訪ねたのは、越前大野の宝慶寺(ほうきょうじ)というお寺でした。宝慶寺は、道元禅師を慕って中国・宋から日本に帰化した寂円禅師という方が開いたお寺です。瑩山禅師は、そこで修行僧の指導監督に当たる維那(いのう)という役を任されます。誠心誠意この役に取り組む瑩山禅師を信頼する修行僧もいる一方で、一部にはそれを疎ましく思い、悪口を言う者もいました。そのことを耳にした瑩山禅師は怒り心頭に発し、一時は強烈な復讐心すら芽生えたと言います。しかし、自分自身を静かに見つめ直したとき、それが如何に愚かであったかということに気づきます。後に瑩山禅師は、このときのことをこう振り返っています。

──幼い頃から僧侶となり、一所懸命に修行して、今は修行僧を指導する立場になった。静かに考えてみると、自分の願いは、仏法の統領となって、人々を教え導くことだ。もし激昂して復讐に走ってしまったら、その結果はどんなことになるか、自ずから知れている。もともと短気な性格であった自分を心配した母は、ことあるごとに十一面観音に祈ってくれた。「たとえ、どんなにすぐれた能力をもっていても、すぐに腹を立てるようでは、人々の役に立つ大人物にはなれない。どうか、穏やかで、やさしいお坊さんになってくれるように」と。──

 この祈りを思い出した瑩山禅師は、以来、決して腹を立てまいと心に誓ったと言います。

 三度、学園に来校されたダライ・ラマ法王も、「怒りと憎しみの心を鎮めて、代わりに愛と慈悲の心を高めなさい」ということを一貫して説き続けておられます。法王は仰います。「怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なのです。これこそ私たちが全面的に立ち向かい克服すべき相手なのです」。
 怒りや憎しみにとらわれると、その感情は心の中で自己増殖していきます。それは負のエネルギーを発散して、周囲も、他ならぬ自分も、どんどん辛くなっていきます。一方、愛と慈悲の心を高めれば、「幸せの発信地」となることができます。

 先月の中頃、ある女性から学園にお電話がありました。その方とその方が介護するお年寄りが病院から帰られるときのことです。タクシーを利用しようとしたものの、なかなかつかまらず、仕方なく休み休み歩いていたところへ、下校途中の本校の生徒が通りかかって「どうなさったのですか?」と声をかけました。女性が事情を説明すると、彼は自分の携帯電話を使ってタクシー会社に電話をかけ、しかも1件目でつかまらないと、もう1件にも電話をしてくれた上、タクシーが来るまで付き添ってくれたということでした。女性は、本当ならもう一度直接御礼を言いたいのだけれど、難しいと思ったので学園に電話をしました、本当にうれしい出来事でしたと、応対した先生に何度も御礼を言ってくださったそうです。

 この生徒は、その愛と慈悲の心で、まさに幸せの発信地となりました。そして今度は、電話をくださった女性が、学園に幸せを届けてくださいました。わざわざこういうお電話をくださった女性の心の豊かさにも感銘を受けます。発信された幸せの波動は伝播していくのです。

 怒りや憎しみにとらわれるよりも、愛と慈悲の心を高めていく。愛と慈悲の心とは、使うほどに高まっていくものです。君たちには、その尊い努力を重ねて、たった一度の人生を心豊かに生きてほしいと思います。