令和2年10月

 先週の両祖忌達磨忌のときに、人は生きていく上でどのような覚悟を持つか、この人生の大問題に対して、教育者・哲学者の森信三先生という方が示されている答えを紹介しました。それは、自分が持って生まれてきたいのち、そのいのちの特色を十分に発揮し実現するということであり、これは、世田谷学園の「明日をみつめて、今をひたすらに」というモットーに通じています。ただ、森信三先生が示されている答えには、実はもう一つあるのです。それは、自分の接する人々に対して、できるだけ親切にし、たとえ少しでも他の人々のために尽くすということです。これは、布施の実践ということであり、学園のもう一つのモットーである「違いを認め合って、思いやりの心を」に通じています。

 お寺に寄付するお金のことをお布施と言いますが、本来、この言葉の意味はもっと広くて、慈悲の心で他のために自らの力を使い、見返りを求めないことを言います。したがって、お金や物がなくても、布施はできます。

 例えば、「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉があります。「和願」は「和願(わがん)」と書きます。つまり和やかな顔のこと。「愛語」は愛情のこもった言葉、思いやりのある言葉ということです。これも立派な布施です。

 以前、柴田トヨさんという方が、100歳の詩人として注目を集めました。この方の『くじけないで』という詩集に「やさしいことば もらったら 心に朝顔 咲きました」という詩があります。愛語には、それをもらった人の心に花を咲かせる力があるのです。

 愛語の中でも、最も身近に実践できるものは、挨拶ではないかと思います。笑顔で元気のよい挨拶をされると、それだけで気持ちが明るくなります。

 君たちが登校したときに、校門からサーモグラフィーまで、何人もの先生方が立っていますが、君たちがしてくれる挨拶は、毎朝、校門に立ったり、検温に当たったりする活力になっています。

 私はよく昼休みに食堂に行って、教頭先生や学監先生、事務の方々と君たちの食事の様子を見ています。すると、食事を終えて食堂を出る前に、厨房の中の方々に向かって「ごちそうさまでした」と挨拶する生徒がいます。厨房の方々は、昼休みの40分間に百数十人分の配膳をしますが、できるだけ君たちを待たせないようにと心を砕いてくださっています。昼休みの数時間前から準備をし、昼休みが終わっても片付けをしてくださっています。もともと「馳走(ちそう)」とは、他の人のために奔走することを意味しましたが、「ごちそうさまでした」というたった一言で、まさにその奔走が報われた思いになるはずです。

 中には、私たちに「ありがとうございました」と言ってくれた生徒もいます。咄嗟のことで言葉を返せなかったことを申し訳なく思っていますが、素直にうれしく思い、爽やかな気持ちになりました。

 君たちは、たくさんの愛語を持っています。「ありがとうございます」、「お疲れ様です」、「すみません」、「お先にどうぞ」……。大切なことは、自分本位ではなく、相手の立場になって考え、そして感じること、その上で言葉を発することです。席を譲ったり、道を譲ったり、困っている人を手助けしたり……、行いも同じことです。思いやりの心、慈悲の心は、使うほどに育っていきます。 他のために自らの力を使うということは、損得の得にはならないかもしれません。しかし、人の徳、人徳を高めてくれます。もらうことばかり求めるのではなく、差し上げることで、人生を豊かにしてほしいと思います。