令和4年6月
5月の朝礼でも話したように、君たちの教室に掲示してある「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、人生を自他ともに幸せに生きていくための6つの実践です。その一番目に「布施(ふせ)」があります。「お布施を包む」という表現があるので、布施というと、お金を連想するかもしれませんが、布施とは本来、見返りを求めず、思いやりの心で他のために自らの力を使うということです。したがって、お金を持っていなくても布施はできます。心で表す布施です。これを、財産がなくてもできる7つの布施ということで、「無財の七施」と言います。
今日はそのうちの3つを紹介しておきたいと思います。
1つ目は「和願施(わがんせ)」です。「和願」は「和やかな顔」ということです。「わげんせ」と読むこともあります。自分勝手な理由で不機嫌な顔をしていれば、周りの人々は不愉快になります。そして、その不愉快を我慢しなければなりません。ですから、ドイツの哲学者ニーチェは、「不機嫌は怠惰の一種である」とまで言っています。一方、和やかな顔つきは、周りの人々の心を穏やかにします。そればかりではありません。心理学の実験によると、笑った顔と同じような表情を無理矢理にでも作ると、楽しい気分になるといいます。和やかな笑顔は、自分の心も明るくするのです。
2つ目は「言辞施(ごんじせ)」です。「愛語施(あいごせ)」とも言って、気持ちのよい挨拶や感謝の言葉、思いやりの言葉で人と接するということです。 たとえ厳しい言葉であっても、思いやりの心、慈悲の心から発した言葉なら、相手の心に響くものです。
反対に、自分勝手な感情にまかせて、人を苦しめるだけの心ない言葉、悪意に満ちた言葉を平気で口にするなら、それはいじめです。そういう、人の尊厳を踏みにじるようなことは絶対に許されません。SNSで発する言葉も、同じことです。
一度発した言葉は元に戻すことはできません。道元禅師は、「ものを言おうとするときは、言う前に三度反省して、自分のためにも相手のためにもなるようならば言うがよい。そうでないときには言うのをやめるべきである」と教えてくださっています。そして、「こういうことは、一ぺんにはできないものである。心にかけてだんだんに習熟すべきである」と続けられています。
人は、たった一つの言葉で深く傷つくことがあります。しかし、たった一つの言葉で救われることも、勇気づけられることもあります。言葉には大きな力があるのです。自分の発する言葉を相手がどう受け止めるか、その言葉でどういう気持ちになるか、そのことに対する想像力を持つべきです。それに、自分の言う言葉は自分自身の耳でも聞くことになります。自分の書く言葉は自分自身の目でも見ることになります。だから、思いやりのある言葉を使うことを心がけていれば、自分の心も豊かになっていきます。
3つ目は「身施(しんせ)」です。困っている人を手助けしたり、人が喜ぶことをしたり、身体を使ってする布施です。歯科医をしていたある初老の男性は、失明をして、今は専門学校で生理学を教えていますが、教室へ移動するときには、生徒さんたちが輪番で付き添ってくれるのだそうです。おっかなびっくりでぎこちない様子が、見えなくても伝わってくる、けれども、一生懸命に、必死に介助をしてくれる、生徒さんたちの不器用な優しさに、心が温まる思いをしているということでした。
私たちは、与え与えられ、支え支えられ、生かし生かされています。和やかな笑顔、思いやりのある言葉、親切な振る舞い……、見返りを求めず、他のために自らの力を使う。心にかけてそれを実践していく。たった一度の人生を、自他ともに、心豊かに幸せに生きてほしいと思います。
(「朝礼」より)