校長のおはなし

校長のおはなし

平成21年2月

 2月1、2、4日は中学入試がおこなわれます。君たちの後輩がやがて入学してきます。先輩として、恥ずかしくない行動を取ってください。外来者に対しての挨拶は声を出しておこなうこと。校門ではキチンと立ち止まってから礼をするように心掛けてください。今週は、自宅学習の時間が多くなります。学習計画をしっかり立てて、無為に過ごさぬように。
 世界にたった一人しかいない君たちが自分自身のために実現したい希望や夢を叶えるために、今何をしなければならないか考えてください。そして自己実現の喜びを知ってほしいと思います。君には、君にしかない持ち味や能力があります。他人と比較して優劣を競う必要はない。自分が授かった命を大切にそして自分の能力、才能、持ち味とは何か、まず自分探しをする、そして自分の目標に向かって全身全力を傾けて学問、勉強に取り組む、中途半端では中途半端な人生に終ってしまいます。
 夢は逃げていかない、夢はあきらめた時文字通り夢になってしまうのです。スポーツの世界でも同様です。勝負をあきらめた時、勝利は消えていくのです。挑戦し続けることが大事なのです。
 目的を達成するには、リスクがあります。リスクを背おうことになります。まず遊べない、睡眠時間が減る、友人と付き合う時間も減る、TVやゲームに興じる時間も少なくなる。当然のことです。
しかし、目的を達成した時の感動、感激は何ものにも変えられない喜びを味わうことができる。だからみんな頑張っているのです。辛いこと、嫌なことから逃げてはいけない。逃げれば感動体験は永久に味わえない。
 まず第一に志を立てる、目標は高く持つ。次に親の言いなりにならぬこと、自分のことは自分で決める、独立する、自立すること。幼い心、稚心を去ること。自分のことは自分でやる、親を頼ってはいけない。自分の物は自分で後片付けをする、やりっぱなしではダメです。靴をロッカーにしまえない、出しっぱなし、毎週のように忘れ物がある。自己管理を徹底すること、自己責任を持つことです。
 計画を立てたなら、何が何でも実行する、友人との約束を守るように、世の中の約束事は必ず守ること。また時間を厳守する、ダラダラやらない、ケジメをつける、つまらぬことに馬鹿笑いをしたり、ヘラヘラ笑わない。善悪に対して、毅然とした態度で臨む、どんなものにも良さがある、どんな人にも良さがある、良さはそれぞれ皆違う良さがいっぱい隠れている、自分の取り柄、人の取り柄を引き出そう、そして自分の良さを社会に役立てる努力をしよう。
 栴檀林の獅子児として、気概を持って元気よく、自分の命を輝かせて生きてください。(朝礼での話から)

 


平成21年1月

 明けましておめでとうございます。
 2009年を迎え、未来への希望を胸に、それぞれの夢の実現に向って着実に第一歩を踏み出してほしいと思います。                       
 年明け早々にメールの賀状、そんなに急がなくてもいいのに。昼少し前、家族で届いた年賀状を見ながらお茶を頂くひと時が楽しい。
 昨年十月、デビューして三十五周年の高橋真梨子のライブがNHKで放送された。阿久悠さんの遺作で十一年前の書き下ろし歌謡曲、「目を見て語れ 恋人たちよ」は宇崎竜童の作曲による歌ですっかり気に入ってしまった。
 IT機器の目覚しい発展は社会を大きく変化させ、その恩恵は計り知れない。その反面、昨今のネット犯罪の多発は社会問題となっている。異常とも思えるメールのやり取り、歩きながら、自転車に乗りながら、信号待ちしながら、中には車の直前をメールしながら脇目もふらずに危険この上もない。電車の中、喫茶店、レストランでもメール、メール。友達同士、恋人同士、大人も子供も、これで本当に自分の気持ちを伝えられるのだろうか。連絡や伝言程度ならともかく、正確に自分の意志を伝えるのはメールでは難しい。まして、略字や自己流の表記文字の多用は、大袈裟にいえば、日本文化の破壊ではなかろうか。それとも新しい文化の創造なのか。
 メールを打っている時は文章を考えて作成したり、目にも止まらぬ速さでボタンを押しているので、脳全体を使っていると信じている人が多い。しかし、大脳皮質にある前頭葉はほとんど働いていないといわれている。メールでは相手の置かれている状況や心理状態もわからず、一方的に自分の用件のみを伝えて、それで人間としてのコミュニケーションが取れていると錯覚している向きが多い。大切なのは、人と人とが面と向き合って話をする事であろう。
 人間の脳は対話をしている時、相手の表情や感情、仕草などを見ながら、喜んでいるとか、傷ついているとか、怒っている、不快に思っているなど、脳はフル回転して観察している。ぶつ切りの単語でしか話せなくなったり、一つ屋根の下でメールでしか連絡手段がないのは悲しいことだ。だからこそ、阿久悠さんの詩の中にあるように、衛星(ほし)に頼らず、心の壁を乗り越え、すぐ傍にいる人の胸の震えを感じ、時に重たい現実を受け止め、瞳の色の真実を心痛めて探り合い、語り合うことが必要なのだ。感動は相手の目を見て語り合うことによって生まれる。たとえ無言であっても、顔と顔、目と目を見つめあうことが大事なのだ。若者同士、親子、恋人同士が目を見て語る時間が少なくなったように思われる。


平成20年12月

 柔道場に「平常心是道」の額が挙っています。平常心とは、スポーツ選手やその他日常でも良く使われていますが、平常心とは、当たり前のことが当たり前に実行できること、普段通りのことが普段通り実行できることです。それを瑩山禅師は、「茶に逢うては、茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と表現したのです。
 陶芸家の河井寛次郎さんの言葉に、「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯な今」という言葉があります。この言葉は、「今をどう生きているか」について、私たちにその内容を深く問うています。そして勇気と希望を与える言葉でもあります。
 お釈迦様は、「今の貴方が、今の貴方の運命にふさわしい」といっています。イエス・キリストは、「今の貴方の行動は、貴方の未来の預言者である」といっています。
 諸君は今何を考え、どういう習慣を持ち、どういう行動をしているか、その「今」を自分、自らに質問してみてください。自信と誇りを持って生活をしていますか、他に恥じるような行為はしていませんか。
 日本の社会が長い間、平穏に安全な国として東洋の紳士国として保ってこられたのは、日本人の高い精神文化があったからです。資源に恵まれない日本人は、長い歴史をかけて心の文化を培ってきました。それは難しい理論ではなく、人に迷惑をかけないこと、自分のことで人に負担をかけないこと、声高に自己主張をして周囲の人を不愉快にしないことでした。学者にしか理解できないことではなく、庶民の誰もが自然に身に着けていたことです。「きまりが悪い」「バツが悪い」「世間に顔向けができない」という気持ちが普段から身についていて、卑しいこと、恥ずかしいことをしないための自制心となって働いていました。この自制心が社会の秩序を保ち、治安を維持してきたのです。
 今の日本人は人に迷惑をかけても開き直ったり、それが元で争い事が起き、命を落とす殺人事件も珍しくなくなりました。日本人の価値基準は、今は損得一辺倒となり、判断の物差しは目先の損か得かだけに目聡く、卑しく自分のことしか考えなくなりました。短い物差しでしか測れない人は、過去を顧みる余裕もなく、未来に思いを馳せるゆとりも生まれません。ただあるのは今だけ、自分だけ、自分のことしか考えられなくなったのです。
 人間の体に栄養が必要であるように、心にも栄養が欠かせません。心の栄養は、自分の得にならないことをやることです。得することしかやらない人は、心の栄養が欠乏して、人間が卑しくなるのです。自分にとって、何一つ得にならないことに取り組んで、心を健康にしてください。
 当たり前のことが当たり前に実行できること、それが平常心ということです。「高所は高平」と言います、本来あるべき姿とは何かを考えてください。志を高く、平常心のレベルを高く持って、明日に向かって、一歩一歩頑張ってください。(朝礼での話から)


平成20年11月

 1592年(文禄元年)、江戸・神田台駒込・吉祥寺境内の学寮「栴檀林」として創立した本学園は、1913年(大正12年)11月12日、現在の三宿に移転しました。
 三宿は、古来「水宿」として伝えられていました。上宿・中宿・下宿と、どこでも泉に恵まれ、清水に事欠かず、鎌倉街道は、この3つの宿、三宿の要地を通っていたといわれています。また、その三宿の清流は品川に流れ、東京湾に注がれていたそうです。その清浄な地、三宿に移転したのが11月12日で、創立記念日と定めたわけです。
 今は亡き、11代校長先生の石碑が校門の左手にあります、「栴檀林に雑樹無し、うつみつ深沈として、獅子のみ住す」と記されています。創立80周年記念式典に杉校長先生は、次のように獅子吼されました。
「諸君は、栴檀林の流れを汲む獅子児である。獅子児にふさわしく頭を上げ、胸をはり、大地を踏みしめて、堂々と闊歩するのだ。忘れても、下を見て歩くような人間になってはいけない。肩を落として、歩くような人間になってはいけない。自分を大切に人を大切に、自分に厳しく、人に温かく一日一日を精一杯、みんなで力を合わせ、自信と誇りと気概を持って、逞しく前進するのだ。」と、熱く語られました。
 心の時代といわれ、豊かな物質に恵まれた環境の中にあって、私たちは、物の命を感じとる感性と、良いものと悪いものを正しく判断できる善悪の判断力をしっかりと持たなければなりません。そして、いつでも、どこでも、どんな場合でも自分で考え、自らの力で歩んでいく、「主人公」でなければなりません。
 日本の古典には、「鏡もの」と言われる物があります。「大鏡」や「吾妻鏡」、受験生は、「大今水増」と年代順に憶えていると思います。日本人は古来から、歴史を鏡であると思ってきました。歴史を学んでいると本当の自分の姿が見えてくると考え、自分の生き方の鏡として、歴史を学びました。
 道元禅師の言葉に、「先哲、必ずしも金骨に非ず」とあります。
最初からできあがった人はいません。天才は努力することを知っている人であるといわれます。例えどんなに肥沃な土地であろうと、そこを耕さなければ、荒地と化してしまいます。「修せざるに現れず、証せざるには得る事なし」と言われる所以であります。常に、耕し続けなければ、実は育ちません。先輩方の残された言葉に耳を傾け、遠くを惟ばかり、一日一日努めてもらいたいと思います。
それには、まず1つは、「熱意」です。やる気を出して、自分をきたえ、磨くこと。
2つは、「知識」です。いくら熱意があっても、知識・学問を磨かぬ者は、仕事を全うすることはできません。人間的に成長することもないのです。
3つには、「場を生かす」こと。与えられた場でベストを尽くすこと。「随所に主となる」ということです。人が見ていようと、いなかろうと、自分一人の時の身の処し方が大事です。人が見ていないからといって、勝手気ままは許されません。常に平常心のレベルを高く持って、行動する。当たり前の事が当たり前に実行できる人に、人間になる。そして他人の喜びを共に喜べる生き方をして欲しいと思います。
それが獅子児の伝統を受け継ぐことであります。


平成20年10月

1013日は「体育の日」です。体力作りには絶好の季節です。 昨今の子供は体格が良くなりましたが、体力不足だといわれています。最近の諸調査から見ても、背筋力、前屈、上体反らし、走り幅跳び、50m走が10年前と比べて劣っているようです。つまり背筋、柔軟性、跳んだり走ったりする力が弱まっているということです。運動しなければ、筋肉一本一本の繊維は、細く、硬くなってしまいます。運動を続ければ、繊維も太く弾力性に富み、しなやかなで、力が出せる筋力に育っていきます。体力が付けば、将来社会に出ても立派な仕事が出来るでしょう。体力があってこそ、初めて気力がでてくるものです。

 

松尾芭蕉は16941012日に亡くなりました。

「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」という辞世の句を詠みました。いくつで死んだと思いますか。肖像画を見ると70歳以上のおじいさんのようですが、ちょうど50歳。昔は、人生50年といいましたが、今は80年です。

 

ガリーナ・ジビナは、ロシアの砲丸投げの選手で、1952年のヘルシンキオリンピックでは、1622cmの世界新記録で金メダルを獲得しました。ガリーナは、子供の時、子供スポーツ学校に入学して、やり投げ、砲丸投げの基礎を学びました。ある夏、母親が娘の健康を気遣い、田舎行きを勧めました。ガリーナは、田舎では砲丸投げの練習ができないと、躊躇していましたが、校長先生は「一日置きに、石を30回投げる。丸石は、砲丸代わりに20回投げる。木の葉を飛び上がって、20回取る。棒切れは、槍代わりに投げる。」ということを教授したのです。ガリーナは、これを実行し、身体を鍛えたそうです。これは、誰にでもできるスポーツの訓練だといえます。

 

剣豪・宮本武蔵は、体力作りで、トウモロコシが育つにつれ、背丈を越すまで、飛び越す訓練を繰り返したそうです。立派なスポーツ器具がなくても、工夫一つでどんなものでも、スポーツ器具に早変わりします。

 

問題は、「やる気」と「工夫」、「創造力」です。やる気のない者は、どんどん後輩に追い越されていきます。ほおって置いたら、体力も学力もつきません。自ら進んで、体力作り、学力作りの工夫をしてください。今は、絶好のチャンスです。

 

天才は、努力することを知っている人だといいます。イチローも松井も、そんな努力をした人たちです。忍耐強く、努力と工夫を続けてください。(朝礼のお話から)

 

 


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