
校長のおはなし
21年7月
東京では、天の川を肉眼で見る機会がなかなかありません。宇宙の数は百億位あるといわれています。その百億もある宇宙の一つが、わが地球の属する銀河系宇宙です。銀河系宇宙の大きさは、ほぼ分かっています。楕円形で直径が光の速度で10万年、厚さが一番厚いところで1万5千年かかる距離だという。あまりのスケールに言葉もありません。
その宇宙の中で地球だけに生命が宿されています。宇宙から見た地球は、「美しい」と口を揃えて宇宙飛行士は語ります。
地球では、電子機器の発達で地球の裏側ともすぐに話ができ、平面空間は急速に狭くなり、つい隣にいる感覚で話ができます。
ところで学校から渋谷まで約3㎞、そして横浜まで行くと約30㎞。これは空間という横軸ですが、これを縦に考え、つまり学校から渋谷までを縦にする、これが地上から上空に人間の住める範囲になります。
人工衛星が飛んでいる宇宙空間迄は、約30㎞、つまり東京から横浜までを 縦にした距離で、マラソン選手なら2時間で宇宙に到達できます、人工衛星が飛びかっている高度です。
人間が住める範囲は、宇宙から見た時、地球をサッカーボールに例えれば、サッカーボールをサランラップで包んだとして、サランラップの厚みでしかありません。その中で人間がうごめいている。宇宙は広いが、その地球に住む人間の範囲は狭く、その生命体に宇宙は等しく天敵を与えました。天敵のいない生命体は増長し、著しく地球の調和を崩していきます。多くの生命体の中で人間にだけ天敵がいないように思えます、しかし天敵はいるのです。人間の天敵は外にではなく、人間の心の中にいるのです。人間を襲い蝕む天敵、それは人それぞれの心の中に巣くう「三毒」と言われるもの、つまり
①怒りの心 =キレる人
②貪りの心 =自分だけ儲かればよい
③愚痴の心 =過去にこだわり、他人をけなす人
一昨年になりましたか、東京国際フォーラムで開かれた「人体の不思議展」を見た時、人間の生命の神秘、特に全身にいき渡った血管網や神経細胞の標本は、人知を超えていました。身体のすみずみに至るまで、微妙に精巧にそして見事に調和のなかに、一点のねじれや、もつれもなく配列された神経、誰が一体これを作り出したのか、神の領域、「神わざ」そのものでした。
諸君はすでにその奇跡のような生命を頂いて生きている。いや「生きて」いるのではなく「生かされて」いるのです。あらゆる人々や地球の恩恵によって生かされているのです。そのご縁に感謝し、物を大切に、物の命を大切に、違いを認め、思いやる心を大切にしなければならないと思います。
朝サッカーの練習をしている生徒の姿を見て、大変頼もしく思います。一つだけ注意してほしい、それはグランドから教室に入る時、靴の泥をキチンと払ってから入るように「習慣」をつけてください。教室を綺麗に美しく保つためにも、やればできるはずです。まず自分にできることから始めてください。
一つひとつどんな小さなことでも美しい地球を保つために実行してほしいと思います。
21年6月
あいにくの雨でしたが、体育競技会が無事終了しました。
この季節は急に暑くなったり、蒸し暑く気候不順で、梅雨に入ると寒くなったりします。健康管理に充分配慮して体力作り、持久力、忍耐力を養ってください。
さて本学園の建学の理念は、「天上天下唯我独尊」「あなたにはあなたにしかない、かけがえのない価値・能力がある。そして、誰でも立派な人間になる力を持っている。」ということです。
『正法眼蔵・随聞記』の中に、こんな話があります。
ある時、弟子が道元に聞いた。「人間はみな、仏性(=つまり立派な人間になる能力)を持って生まれていると教えられたが、人間にはなぜ成功する人としない人がいるのですか?」と質問した。「教えても良いが、一度自分でよく考えなさい。」道元の答えに弟子は一晩考えたが、よく分からない。翌朝、弟子は師を訪ね、再び聞いた。「昨晩考えましたが、やはり分かりません。教えてください。」「それなら教えよう。成功する人は努力する、成功しない人は努力しない。その差だ。」 弟子はあぁ、そうか、と大喜びした。だがその晩、疑問が湧いた。仏性を持っている人間に、どうして努力する人としない人が出てくるのか?翌日、弟子はまた師の前に出て聞いた。「昨日は分かったつもりになって帰りましたが、どうして人間には努力する人、しない人がいるのでしょうか?」「努力する人間には志がある、しない人間には志がない。その差だ。」道元の答えに弟子は大いに肯き、家路についた。しかしその晩、またまた疑問が湧いた。それなら人間には、どうして志がある人とない人が生じるのか?弟子は4度師の前に出て、その事を質問した。道元は、「志のある人は、人間が必ず死ぬことを知っている。志のない人は、人間が必ず死ぬことの本当の意味を分かっていない。その差だ」と言った。これは『正法眼蔵・随聞記』の中にある道元の逸話です。
「悟りを得るということ、真理を体得すること、道を得るかどうかは、生まれつきの利発さや、愚かさによるものではない。修行をする人、皆必ず目的・目標に達することができる。ただ一生懸命になって精進、努力する人と、怠ける人の間には、当然早い遅いの差が生じる。精進するか怠けるかは、志が切実であるかどうかの差である。志が切実でないのは、無常を思わないからだ。人は刻々と死につつある。こうして生きている時間を大切にして自分を磨いていかなければならない。」と言っています。
切に生きるとは、ただひたすらに生きる、ということです。今、この一瞬一瞬をひたむきに生きること、目先の損得を離れ懸命に一つの事に打ち込むこと、その時、人は本来の輝きを放つのだ、と言っています。
『この処は即ち是道場』という禅語があります。苦しい死の床にある場所もまた、自分を高めていく道場である、ということです。道元が死の床で私達に残していった最期のメッセージをかみ締めてください。志を高く持って、時間を大切に努力してほしいと思います。
平成21年5月
ゴ-ルデンウイ-クが終わり、いよいよ学習に専念していることと思います。
さて、ある所で「この世に絶対不変の真理はあるのだろうか?」という質問をしました。「ある」と答えた人、「ない」と答えた人、さまざまでした。目まぐるしく変化する時代に、永久に変わらないものなどないと思いがちです。しかし、絶対不変の真理は厳然として存在します。
その第一は、「人は必ず死ぬ」ということです。この世に生まれて滅しない者はいません。今ここにいる人で、50年後に生きている人はいるでしょうが、100年後も生きている人はまず、いないでしょう。
第二は、「自分の人生は自分しか生きられない」ということです。子供が病気で苦しんでいる、親は変わってやりたいと思う、しかし代わることはできない。その人の人生は、その人以外には生きることができないのです。
第三は、「人生は一回限り」ということです。人生にリハーサルはありません、またもう一度やり直すこともできないのです。
第四に、「この地球上において、自分という存在は、たった一人しかいない」ということです。過去にも未来にも、自分と同じ人間は生まれていないし、これからも生まれてはきません。自分はこの地球上でたった一つの、たった一回しかない命を生きている存在なのです。これは地球上に人類が誕生して以来の不変の真理です。この事実を真に受け止める時、深い感動が湧き上がってきます。私たちは図らずして、奇跡のような命を今、生きているのです。この掛け替えのない命をどう生きるか、そこのところをしっかりと考えて下さい。
何かを成し遂げたいと思ったら、まずは、「自分は出来る」と信じることです。その自信が支えとなり、迷うことなく行動を起せば、成功に向かって確実に一歩近づけます。
人間が想像できるものは、すべて実現可能なことだ、といいます。空を羽ばたく鳥を眺め、「あんな風に空を飛べるといい」と思ったからこそ、私たち人間は、空を自由に行き来できるようになったのです。 「遠く離れた人と話がしたい」と、願ったから話せるようになった。「電話を持ち歩けるようになれば便利だ」と思ったから、今ではモバイルという小型のツールを携帯し、時も場所も選ばず、気軽に会話ができるようになりました。始まりはすべて、『思い』なのです。
本気で「こうなりたい」と強く願えば、それは現実になります。何も願わなければ、何も叶うことはありません。「できる」と思うのか、「できない」と思うのか。単純な考えの違いですが、結果的には、天と地ほどの差になって現れてきます。『脳力』はプラスの方向に使う時、3倍のパワーを発揮するといわれています。
私たちには、向上心があり、欲もあります。だから、「昨日よりも今日、今日よりも明日をいい日にしたい」と思うのです。
もし、『今』に不満を持っていたとして、「このままではいけない」「このままのはずがない」と将来に希望を抱いているにも関わらず、なかなか現状が 変わらないのはなぜでしょうか?それは、自分が『変わるための行動』を起こしていないからです。『自分を変えるための行動』を何でもいいですから、今日、ひとつ始めることです。
行動することで何かを変えるのです。観察することで思慮深くなります。前進することで、輝きは増していきます。
学習計画を立てて、一歩一歩着実に力をつけてください。
平成21年4月
二匹のカエルが牛乳の入ったバケツに落ちてしまった。這い上がろうとしたがバケツの縁までは高く、壁はつるつるして登れない。一方のあきらめの早いカエルは、もう一匹に向かって「もう駄目だ。僕たちはここから出られないよ。」そして目を閉じバケツの底に沈み、溺れ死んでしまった。
もう一方のあきらめの悪いカエルは「イヤだ、死にたくない。何とかならないのか。」と、とにかく泳ぎ回り、出口を探したり、跳び上がったり。そうこうするうちに、いつの間にか足元の牛乳が固くなってきた。かき回された牛乳の表面がバターに変わっていったのです。カエルはその上から跳び上がり、バケツから出ることができた、という話があります。
どんな苦しい状況でも、時には絶望かと思われる状況でも、必ずできることはあります。考え込んでいても活路は開けません。立ち止らず動き続ける、そうすれば思いがけない可能性が見えてくるものです。
発明家のエジソンは電球を発明するのに一万回も失敗しました。その時エジソンは、「私は失敗なんてしたことがないよ。上手くいかない一万通りの方法を見つけただけさ。」と答えています。
失敗から学ぶことはかけがえのない肥やしとなり、何よりも人を大きく成長させるのです。夢を持ち続け、あきらめずに歩き続けることです。人が後悔するのは、やって失敗したことよりも、やらなかったことを後になって悔むことなのです。
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』という本があります。その中でアリスは、ためらいがちにチェシャという猫に話しかけます。「お願いだから教えてくれない、私はここからどっちの道に行けばいいの。」と。猫は、「お前さんがどこに行きたいか次第だね。」アリスは、「どこでもかまわないんだけど」
「それならどっちの道に行ったってかまわないじゃないか。」と猫はいいます。
目の前に続く二差路、さてどちらを選ぶか、誰でもよく出会う局面です。猫のいうことは実に正しい。どこでもかまわないなら、どちらでもいいからいけばいい。但し、どちらに行ったら良いか分からないからといって、そこに立ち尽くしたままでは、どこにも辿り着けません。
私たちは少しでも正しい選択をしようと大いに悩みます。しかし、この世に悪い決断は一つしかない。それは決断しないことです。決断し続ける限り、例え幾つかの選択が間違っていたとしても、必ず修正することができます。しかし何も決断しない限り、どこにも進めないのです。勇気を持って決断し続ける限り、道は限りなく開かれていきます。
失敗者は成功する前に、それをあきらめてしまった人なのです。成功者は、成功するまでそれをやり続けた人のことです。あきらめず続ける才能は、誰もが持っている。本来、みんなが持っている能力なのです。
釈尊は、「人はなぜ死ぬのか、人は生まれたからである。」と言い切ります。「病気や事故で死ぬのではない、病気や事故は死の縁であって、人は生まれたから死ぬのだ」と言い切っています。だから生きている時は、「生きる縁」を大切に生きなければならない。生きる縁とは何か、それを考え求めて努力してください。それが諸君に与えられた課題です。
平成21年3月
昔話に次のような話があります。旅の道中、若いお侍さんと初老のお坊さんが街道筋を同じ方向に歩いていました。まず、若侍が口を切り、「地獄極楽はこの世にあり、との説教をよく聞くが本当に実在するのか」とお坊さんに持ちかけました。お坊さんは「世の荒波を知らぬそなたのような青侍との問答は俺には無用じゃ」と話の腰を折ってしまいました。
この若侍、自尊心を大変傷付けられただけに、怒り心頭に発し、とうとう鞘を払い、「貴殿の無礼には堪忍できぬ」と刀を上段に構えました。このお坊さん少しもあわてず、「俺を切って何になる。今のそなたの心こそ地獄なのだ。お分かりか」と侍を諭しました。図星をつかれた若侍、突如怒りから目覚め、刀を鞘におさめました。クールに自分を顧みたわけです。大した理由もなく怒りの感情にとりつかれた自分を恥ずかしく思い、今度はお坊さんに向い「ご無礼仕った、お許し下され。お教えを深く御礼申し上げたい」と頭を下げました。すると禅僧は「今のそなたの心こそがまさに極楽浄土に通ずるのじゃ」と笑みを浮かべました。
ところで、君たちはこの話から何を学ばれるでしょうか。夏目漱石の「草枕」にも「智に働けば角が立つ、情に掉させば流される」という言葉があるように、われわれ人間は智と情の2つの面をもっています。このお侍さんは衝動的に怒りの感情に捕らわれ、鞘を払いました。しかしその時、お坊さんの言葉を聞いて理性を取り戻し、キレることなくことが収まり、最後には「教え」に対し謝意を表しています。この話では理性を離れた感情と、理性と結びついた感情には、地獄と極楽の差があることを見せつけました。
君たちも長い人生の中では、テストに失敗したり、恋人に振られたり、友人に背かれたり、不幸なできごとに遭遇して、不安感や恐怖感に悩まされたり、不正に激怒して戦わねばならないこともあるでしょう。しかしそこで大事なことは、自分の立場を自覚し、自制心、克己心を発揮し、高まる感情を知性によってコントロールすることを心がけてください。
山口県萩市明倫小学校では、毎朝全生徒が郷土が生んだ幕末の志士、吉田松陰の言葉を声高らかに朗唱しているそうです。
それは「今日より幼心を打ちすてて、人と成りにし道を踏めかし」
「凡そ生まれて人たらば、宜しく人の禽獣に異なる所以を知るべし」ということです。
今諸君に求められている依存心から独立へ。模倣から創造への変遷の原動力になるものは、今まで培っていた自立心と自らを律する心です。自分の将来のことは自分で考えることです。
自分でものを考え、意欲的に動くこと。行動する人にならねばなりません。多くの情報に左右されず、社会の変化についていける、自発的で自立した「自分でものを考えられる人間全ての幸せのために自分で問題点を発見して、解決に至る方法やプロセスを自ら判断して行動する意欲的な人間」となってほしいと思います。
道元禅師の言葉に「他は是我にあらず、更に何れの時をか待たん」という言葉があります。人の言いなりになったり、自分のなすべきことを人任せにしたり、自分がやるべきことを両親や友人にしてもらっても、自分がやったことにはなりません。自分のことは自分でおこなうしかないのです。先のばしをしてはいつ完成するかわかりません。今やるべきことは今やる。今何をなすべきかをしっかり考えて実行してください。
(朝礼での話から)
