校長のおはなし
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令和2年2月

 ただ今、涅槃会の法要を執り行いました。

 

 涅槃会は、古来2月15日とされているお釈迦様のご命日の法要です。壇上の絵は涅槃図といって、お釈迦様が亡くなられたときに、多くのお弟子さんや動物たちまでもが悲嘆に暮れている情景が見事に描かれています。今回、初めて飾ることになるこの絵は、美術部の6年生が、4年生のときから2年近くをかけて完成させてくれた大作です。今後も涅槃会のときには、こうして飾らせてもらいたいと思っています。

 

 ところで、「涅槃」という言葉ですが、これは一般にお釈迦様のご臨終という意味で理解されています。しかし、この言葉の語源である古代インドの“nirvana(ニルヴァーナ)”という言葉には、「火を吹き消す」という意味があります。

 

 人間の生活には、多くの思い通りにならないことがあります。それが「苦しみ」となります。お釈迦様は、その原因は人間のもつ様々な「煩悩」にあるとして、煩悩に支配されている状態を、「すべては燃えている」と表現されています。この煩悩は「貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)」という3つの根本煩悩に整理することができます。これを「三毒」といいます。貪はむさぼり、あれもほしいこれもほしいと足ることを知らない欲望の心のこと。瞋はいかり、自分勝手に腹を立てたり、人を妬んだり、恨んだりする心のこと。癡は愚癡、道理をわきまえない愚かな心のことです。この燃えさかる煩悩の炎を消し去ってしまえば、心は平安を得られます。その状態が「涅槃」です。

 

 世田谷学園に通う君たちは、坐禅に親しむことができます。以前、ある新聞社から早朝坐禅の取材を受けたとき、坐禅を終えて退堂する生徒が一人、「坐禅をするとどんな感じになりますか」と質問されました。彼の答えは「スッキリします」でした。早朝坐禅を続けた生徒たちにアンケートに答えてもらったことがありますが、やはり多くの人たちが、坐禅をすると「スッキリする」と書いていました。「スッキリする」というのは簡単な表現ではありますが、しかし、涅槃の世界の一端を感じさせてくれる、実に的を射た表現ではないかと思います。

 

 坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐ります。「今、ここ」の姿勢、「今、ここ」の呼吸を調えることに、「今、ここ」の心を使う。頭の中に何か思い浮かんでも、いちいちそれを追わない。聞こえてくる音は聞こえてくる音として聞くに任せる。足が痛いときには、痛い分だけ痛いと感じればそれでいい。

 

 毎日の生活の中で、私たちの心は、いつの間にか「貪・瞋・癡」の三毒にとらわれてしまいます。「ゲームがしたい」、「あいつが気にくわない」、「この宿題が面倒だ」……。例えば「あいつが気にくわない」と思うと、人には誰だって長所と短所があるのに、気にくわないという自分の気持ちを正当化するために、相手の短所ばかりを探し出そうとします。とらわれると、こうした感情は自分でも気づかないうちに勝手に増幅して、それで心がいっぱいになって、人は苦しむことになります。

 

 しかし、姿勢を調え、呼吸を調えて静かに坐れば、心の中にある余計なとらわれにも気づくことができるようになります。部屋の中のゴミは、そこにゴミがあると気づくから片付けることができます。心の中のとらわれも、それに気づけば片付けることができます。余計なものが片付けば、心がスッキリします。心がスッキリすれば、2学期の終業式でも話した「感謝」ということも敏感に感じられるようになります。そして、人生が豊かになっていきます。

 

 例えばスティーブ・ジョブズ氏がそうであったように、今、海外でも坐禅に親しむ人が増えています。君たちには、身近にそのための環境があります。静かに自分をみつめる時間を大切にして、スッキリとした心を育んでほしいと思います。

 

 最後に、君たちに一つ連絡があります。

 今年度の獅子児祭で、君たちの投票により「ざふまる」というマスコット・キャラクターが選ばれました。坐禅に使う「坐蒲(ざふ)」をモチーフにした、世田谷学園ならではのキャラクターで、その評判はとてもよいものでした。このことは学園にとっても喜ばしいことであり、今後はこの「ざふまる」を学園の公式キャラクターとしても活用させてもらいたいということで、現在、特許庁に商標登録の申請をしているところです。この後、「ざふまる」をデザインしてくれた2人の生徒には、感謝状を贈呈することになっています。