令和元年9月

 大智度論という仏典に、こういう話があります。

 

 ある林が火事になりました。そのとき、火を消そうと懸命になっている一羽の鳥の姿がありました。鳥がしていたのは、遠くの池まで飛んでいっては中に入って羽をぬらし、戻ってきて林の上からそのしずくを振りかける、それを何度も繰り返すということでした。しかし、その程度で火は消えません。そこに、帝釈天という天人が現れて「なぜ、そんなことをしているのだ」と鳥に尋ねました。鳥は答えました。「私がこの林を救おうとしているのは、林の中の衆生を、みんなをあわれむからです。この林は涼しく快適で、そのお陰で、私たちの仲間である多くの動物や植物は育ってきました。私には体力が残っています。どうして怠けて救わずにいられましょうか」。帝釈天は言いました。「おまえの気持ちはそうかもしれないが、誰がそんなことで火が消えると思うか」。そこで鳥は誓いを立て、そして答えました。「自分の心が本当に誠実で、うそいつわりがなければ、火は必ず消えます」。すると、という天人が、鳥の慈悲と勇気に満ちた誓いと行動に感じ入って、火を消すのを助けてくれたといいます。それ以後、この林は火に焼かれることなく豊かに茂っているということです。

 

 この話の最も重要な点は何か。それは言うまでもなく、鳥が、みんなのために林を救うという「明日」をみつめて、羽をぬらしてきてはしずくを林に振りかけるという、自分にできる「今、ここ」の行動にただひたすらに打ち込んでいるところにあります。これを「精進」といいます。精進に大切なのは主体性です。やらされているという気持ちではなく、進んで自分のこととして行動する、つまり「自らが精進になりきる」ということです。この話では、確かに浄居天が手助けをしてくれています。しかし、鳥はそれをあてになどしていませんでした。自ら、必ず火を消すのだと強く思い、自分にできる最善を尽くしました。協力者や応援者とのご縁というものも、そういうところにこそ生まれるのだと思います。

 

 アランというフランスの思想家は、「ロープウェイで来た人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」と言っています。

 もし、何かしらの望む結果が得られたとき、もっとも晴れやかな気持ちを味わうことができるのは、苦しみあえぎながらも、自らが精進になりきった人です。たとえ結果が失敗であっても、つまずくのは歩いている証拠です。悔しい思いをしたとしても、精進の過程にうそいつわりがなければ、そこに誇りを持つことができます。

 

 長い休暇が終わって2学期が始まりました。日々の授業が再開します。2週間後には獅子児祭も開催されます。「よーし!」と勇猛心を奮い起こし、「明日をみつめて、今をひたすらに」、主体的に、自らが精進になりきって、だからこその気持ちというものをたくさん味わってほしいと思います。