校長のおはなし
archives

令和元年7月

 はじめに、本日ご供養をさせていただいた方々のご家族の皆様、また、ご来賓の同窓会、三心会の皆様にご挨拶申し上げます。本日はご多端の中をご参列賜り、まことにありがとうございます。お陰様をもちまして、森元亨理事長老師ご導師のもと、全校の生徒諸君とともにお勤めいたしました精霊祭の法要を、一層心のこもったものにすることができました。どうぞ、今しばらく、お時間をともにお過ごしくださいますよう、お願い申し上げます。

 

 さて、先ほどお唱えした『修証義(しゅしょうぎ)』に、「人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し」とあります。「生」──「生まれる」ことの反対は何かと問われれば、「死」──「死ぬ」ことだと答えるのがおそらく一般的ではないかと思います。しかし、「生」の反対は「生まれない」ことではないかと私は思います。「生」も「死」も、生まれてきたものにしかありません。私たちの人生には、喜びや楽しみがあります。一方で、怒りや哀しみもありますが、生まれてこなければ何もありません。

 私たちはその「生」を受け、当たり前のように毎日を過ごしています。しかし、それは実に奇跡的なご縁のお陰様です。自分が生まれてくるまでに、どれだけのご先祖様がいらしたのかを考えてみると、よくわかります。

 

 私たちには2人の親がいます。祖父母は4人です。1代さかのぼるごとにその代のご先祖様の人数は2倍となるので、仮に26代前までさかのぼれば、そこには2の26乗、すなわち67,108,864人のご先祖様がいらっしゃることになります。両親からそこまでのご先祖様をすべて足し合わせれば134,217,726人です。26代前というのは室町あるいは鎌倉時代あたりになるのではないかと思いますが、そこまでさかのぼったところで、すでに現在の日本の人口、約1億2千7百万人を超えるほどのご先祖様が、私たち一人一人にいらっしゃることになります。

 これほどの「いのち」のリレーが途切れることなくつながってきたからこそ、「今、ここ」に自分は存在しています。もしもその中の誰か一人でもいなければ、一組でも夫婦として出会わなければ、自分がこの世に生を受けることはできなかったはずです。

 私たちは、先祖代々つながってきたバトンを受け継いで、今まさに、自分の番のいのちを生きています。それは決して当たり前ではない、難値難遇(なんちなんぐう)のご縁のお陰様です。たった一度の自分の番のいのちであり、二度はありません。身代わりも利きません。この世に生を受けた者として、その事実に思いを致し、生き方を見つめ直すということはとても大切なことではないかと思います。

 

 あるお寺のお檀家さんの話です。その男性はガンを患っていましたが、一度手術を受けた後は、家での緩和ケアを選択し、お孫さんの送り迎えや、野球の応援などご家族との時間を大切にされました。動けなくなってからも入院はせず、医師の往診を受けながら、ご家族に見守られ、最後を迎えられたそうです。

 ご葬儀では、小学5年生のお孫さんが「お別れの言葉」を読みました。

 

──私はおじいちゃんに「死ぬのって怖くない?」と聞いたら、「怖くない」という答が返ってきました。私はなおさら死に対しての恐怖心をおぼえました。死んでいくのが怖くないなんてどうしてだろう。しかし、おじいちゃんのお世話をしていて気づきました。死ぬことよりも、生きていることを精一杯頑張っていたからです。おばあちゃんとお母さんは、毎日毎日、疲れても愚痴を言わずに一生懸命おじいちゃんに付きっ切りでお世話をしていました。その姿を見て、私はおばあちゃんを尊敬するようになり、おばあちゃんの手伝いをしながら、私も強くならなければと思いました。だからおじいちゃん、おばあちゃんのことをずっと見守っていてください。私もおじいちゃんに負けないよう、今を精一杯生きて行きます。──

 

 この「お別れの言葉」を聞いたお寺のご住職は、「お孫さんはおじいさんの死に行く過程を見守っていたのではない。おじいさんの生き方を見ていたのだ」と仰っています。

 おじいさんがどれだけご家族を愛し、ご家族から愛されていたのか、二度とはない「今、ここ」をどれだけ大切にされていたのか、お孫さんが受け継いだいのちのバトンは、おじいさんの思いも込められたバトンになったのだと思います。それは、お孫さんが人生を精一杯生きていく、その力強い後押しとなるはずです。

 

 私たちがいのちのバトンを受け継ぐことができたこのご縁は、決して当たり前のことではありません。「当たり前」の反対は何かと言えば、それは「めったにない」こと、つまり「有ることが難い」、「ありがたい」ということです。だからこそ、「明日をみつめて、今をひたすらに」、「違いを認め合って、思いやりの心を」、たった一度の自分の番の「いのち」を精一杯生きていく、精霊祭に因んで、その覚悟をあらたにしたいと思います。