校長のおはなし
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令和元年6月

 シンガーソングライターの槇原敬之さんに、『僕が一番欲しかったのもの』という歌があります。

 とても素敵なものを拾って僕は喜んでいた、ところが自分以上にそれを必要としている人がいることに気づいて、惜しいような気もしたけれどあげることにした、その人は何度もありがとうと言って笑ってくれた、1番の歌詞はそんな内容です。

 2番でも、また素敵なものを拾いますが、やはり自分以上にそれを必要としている別の人にあげてしまいます。そんなことを何度も繰り返して、最後には何も見つけられなくなりますが、これまでの道を振り返ったときに、大切なことに気づきます。それは、自分のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて、それを見たときの気持ちが、自分が本当に探していたものだったということです。

 この歌を初めて聴いたとき、私の頭の中に浮かんできたのは「布施」という言葉でした。布施は、「もの」や「お金」をあげることと一般に理解されていますが、本来は、慈悲の心、思いやりの心で他のために自らの力を使い、見返りを求めないことを言います。この歌でも、「僕」という主人公があげた素敵なものが、目に見える「もの」なのか、そうではないのかはわかりません。ただ、はっきりしていることは、自他ともに満ち足りて幸せを感じているということです。

 ある老夫婦が冬の早朝、散歩の途中でコンビニに立ち寄ったそうです。支払いでレジに立つと、後ろにはいつの間にか数人の若者が並んでいました。奥さんが支払いに手間取っていたので、ご主人は後ろの若者たちに言いました。「もたもたしてごめんね。みなさん、急いでいるのにね」。すると若者の1人がこう言ってくれたそうです。「大丈夫ですよ、慌てないでやってください」。老夫婦は、「ありがとう」と言って、冬の寒さに勝る心の温かさを感じながら店を後にしたということです。

 

 「和願愛語(わがんあいご)」という言葉があります。「わげんあいご」とも読みますが、和やかな笑顔と思いやりのある言葉ということです。ものやお金がなくても、布施は「心」ですることができます。和顔愛語はまさにそれです。

 人に迷惑をかけるな、とはよく言われることで、当然のことです。しかし、どんなに気をつけていても、知らず知らずのうちに人に迷惑をかけながら生きているのが人間です。それなのに、人からかけられる迷惑は過敏に感知して、相手の事情など考えずに、すぐに嫌な顔をしたり、文句を言ったりすることがあります。不寛容がはびこりつつある世の中にあって、若者の「大丈夫ですよ」という一言は、どれだけ老夫婦の救いになったかと思います。

 一方で、老夫婦が若者に言った「ありがとう」という言葉も愛語です。『僕が一番欲しかったもの』で、たくさんの人から「ありがとう」という言葉と笑顔をもらった「僕」のように、この若者もゆたかで幸せな心もちになったと思います。

 人は人と人との間でしか生きることができません。だから、「人間」と言います。それならば、「違いを認め合って、思いやりの心を」めぐらして、お互いに見返りを求めることなく他のために自らの力を使う。自他ともに、ゆたかに幸せに、人生を生きてほしいと思います。