平成30年12月

 ただ今、お釈迦様のお悟りを記念する成道会の法要を営みました。法要に先立って、この修道館を道場とした臘八摂心(ろうはつせっしん)も無事勤め上げることができました。大衆(だいしゅ)の威神力(いじんりき)という言葉があるように、多くの生徒諸君が参加してくれる、そのお陰様で、私を含め先生方も坐ることができます。そのことをありがたく思っています。

 

 さて、お釈迦様は、今から約2500年前、ヒマラヤ山脈の南、現在のネパールとインドとの国境付近に、カピラ国という小さな国を建てていた釈迦族の王子としてお生まれになりました。シッダルタと名付けられ、大切に育てられますが、成長するにつれ、自分もやがて老い、病み、そして死にゆくという、避けることのできない運命に思い悩むようになります。この苦悩を抱えたまま、今の生活を続けることはできない、その思いを募らせたお釈迦様は、29歳のとき、心の平安を求め、物質的に恵まれていた生活の一切を捨てて、出家をなさいました。

 

 当時のインドにおける出家者の修行法には、坐禅瞑想により精神を統一する禅定と肉体を苦しめる苦行とがありました。

 お釈迦様はまず、当時名を馳せていた仙人の元を訪ね、禅定を学びます。ほどなくして仙人と同じレベルに達しますが、禅定中は安らかな境地になれても、禅定を離れるともとに戻ってしまって、苦悩の解決には至りません。別の仙人の元で学んでも、それは同じでした。

 そこで、次に苦行に身を投じます。苦行とは、肉体は悪しきものの宿るところであって、その肉体の力を弱めることで精神によりよき活動力が与えられる、というものです。お釈迦様の苦行は、誰も経験したことのないほど徹底したもので、最後は、死に至るほどの断食まで試みますが、肉体の力が弱まっても、頭は朦朧とするだけで、心の平安は得られません。

 6年にも及んだ苦行に終止符を打つ決意をしたお釈迦様は、河の流れに身を清め、村の娘スジャータから乳糜(にゅうび:乳粥)の供養を受けて体力を回復すると、一本の菩提樹の下で結跏趺坐(けっかふざ)の坐禅に入ります。そして8日目、明けの明星が輝くのを見て、ついに成道、悟りを開かれました。それが臘月(ろうげつ)、すなわち12月の8日とされています。

 

 お釈迦様が悟られた内容、それは「縁起の理法」です。「縁起」は「縁(よ)りて起(お)こる」と書きますが、「縁」とは種々の条件のことを言います。したがって、「縁起の理法」とは種々の条件によって現象が起こる原理ということです。経典には縁起の理法を端的に表す言葉があります。

 「これあれば、かれあり。これ生ずれば、かれ生ず。これなければ、かれなし。これ滅すれば、かれ滅す」

 お釈迦様は、老病死に代表される、どんなに忌み嫌っても避けることのできない運命に対して苦悩を抱いていました。しかし、すべてが条件によって起こるなら、「これ滅すれば、かれ滅す」、その条件を取り去れば、苦も消滅するはずです。では、何を滅すれば、苦が滅するのか。その答は、足ることを知らないもっともっとという「貪欲(むさぼり)」、思いどおりにならずにカッとなる「瞋恚(いかり)」、真理をわきまえずに勝手で歪んだものの見方をする「愚痴(おろかさ)」、そうした自己中心的な激しい「煩悩(ぼんのう)」です。お釈迦様は、この煩悩を滅するための方法として、八つの正しい道、「八正道」を示されています。すなわち、正見(しょうけん:正しい見解)、正思惟(しょうしゆい:正しい考え方)、正語(しょうご:正しい言葉)、正業(しょうごう:正しい行い)、正命(しょうみょう:正しい生活)、正精進(しょうしょうじん:正しい努力)、正念(しょうねん:正しい注意)、正定(しょうじょう:正しい精神統一)ということですが、ここで確認しておきたいのは、この考え方そのものが実に積極的な性質を持っているということです。

 「これ生ずれば、かれ生ず」、あるいは「これ滅すれば、かれ滅す」、これらは時間的な因果関係を表しています。自分の成長や人の幸せにとって好ましくない行いをなせば、やがてそれに応じた好ましくない結果を受けます。しかし、好ましくない行いをやめて好ましい行いをなせば、好ましい結果を受けます。そして「明日をみつめて、今をひたすらに」生きる人、「違いを認め合って、思いやりの心を」発揮する人へと変貌することができます。人間が自らの運命、未来に対して、それを好転させようと敢然と挑戦することを仏教は肯定します。

 

 好ましくない行いの根源となる条件、それは自己中心的な激しい煩悩です。では、好ましい行いの根源となる条件は何か。それは「お陰様で」、「ありがとう」という「感謝」の心です。例えば歯が一本痛くなると、そればかりにとらわれてすべてが苦痛に思えてしまうことがあります。しかし、目、耳、その他の器官も多くは健康だ、自分を心配してくれる人もいる、夜は暖かい布団に入って眠ることもできる、「お陰様で」、「ありがとう」、そう思うと、すべてが苦痛ではなくなります。そして、「お陰様で」、「ありがとう」を増やしていけば、心全体が豊かになっていきます。心が豊かになれば、行いも好ましいものになっていきます。行いが好ましいものになれば、心もさらに豊かになっていきます。

 

 好ましくない行いをなすか、好ましくない行いをやめて好ましい行いをなすか、その自由は私たち一人ひとりに任されています。私たちは、自らの意思によって、因果の流れを変えることができます。だからこそ、自らの人生に対して自ら責任をもつ。成道会に因んで、その自覚を深くしたいと思います。