平成30年7月

 君たちの中にも、小さな頃に『アンパンマン』を見たことがある人は多いと思います。その作者であるやなせたかしさんに、こういう言葉があります。
「その日、その日を大事に、一歩一歩積み上げていく。その平凡なことを何十年も続け、ささいなことを積み重ねるならば、いつの日か平凡は非凡な結果に変わるのです」。
 『アンパンマン』がブレークしたのはやなせさんが69歳のときです。30代から50代頃までは漫画家として絶望のトンネルの中にいたと言います。しかし、その中にあっても、その日その日を、一歩一歩を「今をひたすらに」積み上げていく、それが如何に尊いかということを思い知らされます。
 仏教に「忍辱(にんにく)」という言葉があります。「忍辱」の「忍」は「しのぶ」、「辱」は「侮辱」の「辱」、「はずかしめ」という字で、侮辱や苦しみを耐え忍び、心を動かさないということです。一般には「忍耐」という言葉がよく使われますが、いずれにも共通しているのは「忍」の一字で、この心の態度の発揮には、大きく2つの方面があります。
 1つは、感情を露骨に表さないようにする、特に怒りの情を表さないように努めるという方面です。
 古代ギリシアの哲学者として知られるソクラテスにこういう話があります。
 あるとき、ソクラテスがアテネの町を歩いていると、突然後ろから大きな棒で背中を叩かれました。日頃からソクラテスの説くことに反感を持っていた者の仕業と思われますが、ソクラテスは何事もなかったように平然と歩き続けます。その様子を脇で見ていた人が驚き怒ってソクラテスに言いました。「どうして、あなたはあいつを叩き返してやらないのですか」。ソクラテスは笑って答えました。「ロバがあなたを蹴ったとき、あなたは足を上げてロバを蹴り返しますか」。
 自分の言動に非がないのであれば、それに対して非常な敵意を持って暴力行為に出たりあるいは罵声を浴びせたりする者がいても、相手にする必要はないのだということです。
 もう1つの方面は、苦労や困難があっても打ちひしがれずに、例えばいかに長い歳月がかかろうとも、一旦決めたことは根気強く取り組んで、どうしてもこれをやり遂げなければならぬということです。
 発明家として知られるエジソンの功績に白熱電球の発明があります。電流がフィラメントを通るとき、熱と光を発するという性質を利用したのが白熱電球です。ところが、当初のフィラメントはすぐに融けてしまうような代物でした。そこで、エジソンは世界中からありとあらゆる材料を集めて実験を繰り返しました。それは失敗の連続でしたが、辛抱強く何千回もの実験を繰り返し、ついにフィラメントにふさわしい材料を見つけました。それは、日本の竹だったそうですが、失敗を耐え忍んだからこその成功と言えます。
 冒頭のやなせさんは、漫画家として代表作が出せず、だから漫画家の世界で無視をされていると感じたこともあったと言います。2つの方面のどちらにも、「忍」の一字を貫いた方と言えます。「忍」の一字を貫くとは、結局のところ、己に打ち克つということです。感情に流されそうになったとき、困難や怠け心に負けそうになったとき、その自分に打ち克つ。自分に打ち負けてから「しまった」と思うのではなく、その前に「ここだ!! ここだ!! ここが耐えどころだ!!」と自分自身に言い聞かせる。その習慣をつけることが己に打ち克つ第一歩であり、己に打ち克つ一歩一歩を積み上げていくことが非凡な結果へとつながっていきます。
 明日から夏期休暇に入ります。休暇とは言っても、夏期行事、講習や部活のある人もいます。しかし、学期中に比べて自分だけの時間が増えることは確かです。それだけ、自分で自分をコントロールすることが求められます。それはつまり、己に打ち克つ経験が数多くできるということです。9月に、一回りも二回り成長した君たちと会えることを楽しみにしています。(終業式のお話から)