平成30年6月

 宗教では、地獄や極楽が語られることがあります。こういう話があります。
 ある男が地獄を見に行きました。するとちょうど食事時で、地獄だというのにテーブルの上には山海の珍味がどっさりと並んでいました。ところが、その周りに座っている人々はと言うと、皆、骨と皮ばかりにやせこけ、目はくぼみ、真っ青な顔をしていて、険悪な雰囲気で互いににらみ合っています。よく見ると、全員左手はひもで椅子の背もたれにしばられています。右手にはスプーンがこれもひもでくくりつけられていて、その長さは1m以上もあります。長いスプーンなので、遠くの料理もすくいとることができます。しかし、いざそれを口に入れようとすると、長さが仇となって自分の口に入れることができません。目の前にこんなにご馳走がありながら、永久に食べることができない。まさに地獄の苦しみだと男は思いました。
 次に男は極楽を見に行きました。やはり食事時で、テーブルにご馳走が並んでいること、人々の左手が椅子の背もたれにしばられていること、右手には長いスプーンがくくりつけられていること、それらは地獄と同じでした。ところが、人々はふくよかでその顔は幸せに満ちています。なぜ、状況は同じなのに、人々の表情がこんなに違うのか。理由は簡単でした。彼らはお互いに食べさせ合っていたのです。
 社会の仕組みはまったく同じであっても、住む人の心構えや生活態度の如何によって、そこは地獄にもなれば極楽にもなります。「オレが、オレが」という小さな個我の執着に引きずり回され、取る、奪うばかりに走ってもがき苦しむのが地獄、「どうぞ、どうぞ」と与える心、施す心にあふれ、「布施」がめぐりめぐって、お互いが生かされるのが極楽です。
 布施とは、慈悲の心、思いやりの心で、見返りを求めることなく、他のために自らの力を使うということです。
 先週、関東も梅雨入りとなりました。傘を持たずに家を出て、帰りに地元の駅に着いたら大雨になっていたという経験をしたことのある人もいると思います。これは、そんなときにある女性が見かけた光景です。
 傘がなくて立ち往生している男性に別の男性が近づいて、「この傘を使ってください」と、一本のビニール傘を差し出したそうです。見ず知らずの人に譲られた傘だけれども、自分には迎えが来てくれるから大丈夫だということでした。傘を受け取った男性は隣にいた、やはり立ち往生している男性に声をかけました。「傘を買おうと思っていたので、あの店まで一緒に行ってくださったら、あとはこれを使ってくれませんか」。
 この光景を見ていた女性に、お世話になった方が亡くなったときの記憶がよみがえってきました。何も恩返しができなかったと嘆く女性に、ご家族がこう言われたそうです。「恩返しはほかの方に。それは社会の中でつながっていきますから」。
 誰かからいただいた恩を、別の方に送ることを「恩送り」と言うことがありますが、恩を送るということは、布施がめぐりめぐっていくということです。それはお互いの心、そして社会をも豊かにします。お金やものだけなく、思いやりのある言葉や和やかな笑顔を送ることもまた立派な布施です。布施は心のあり方一つで、誰でも、どんなときでも実践できます。
 地獄や極楽は死後の世界の話ではなく、生きているこの現実の世界にこそつくり出されます。そしてそれは、とりもなおさず我々一人ひとりの心によるのだということを忘れずにいたいと思います。(朝礼でのお話から)