平成29年6月

 まず、先週木曜日の体育祭のことですが、準備、運営、片付けに力を尽くしてくれた実行委員、生徒会、体育委員、環境委員の諸君をはじめ、多くの生徒諸君が、随処に主となって、主体性、協調性を発揮してくれました。君たちや、サポートに徹した先生方、そして温かい手拍子、拍手を送ってくださった保護者の方々が、あの広い代々木第1体育館の中で一体となっていることを実感できて、とてもうれしく思っています。そして、名実ともに記念すべき1日として校史に刻まれる第1回体育祭になったと確信しています。本当にお疲れ様でした。

 さて、「欽ちゃん」の愛称で親しまれているコメディアンの萩本欽一さんを、君たちも知っていると思います。萩本さんは、現在、駒澤大学の仏教学部に通う学生でもあります。2015年、73歳のときに、社会人入試で合格したということですが、萩本さんの大学入学は、ご自身の挑戦であり、亡くなったお母様の夢でもあったそうです。

 その萩本さんが「我慢こそ運を呼び込む」ということを言っておられます。

 萩本さんと言えば、誰もが認める一流のコメディアンですが、最初からお笑いが好きだったわけではないし、才能に恵まれていたわけでもなかったと言います。これではダメだと自覚したから、他の人より一歩、いや二歩下がったところから頑張ろうと決めたそうです。ダンスでだめ出しをされて舞台からはずされれば、ダンスの練習ではなく、まずリズムを身体に覚え込ませようと、ジャズドラムの教本とスティックを買ってきて、一人でひたすら練習を繰り返すところから始めたそうです。辛くても、修業なんだからじっと我慢するしかない、「石の上にも三年」ではなく、「石の上にも五年」だと考えて耐えた、なぜなら、我慢こそ運を呼び込むからだと言います。70歳を過ぎて受験勉強をし大学で学ぶ、その挑戦をする勇気も、そういう努力の実蹟から生まれたのではないかと想像します。

 ところで、「我慢」という言葉ですが、これは使われている漢字からもわかるように、元々は「自分の考えを唯一に思って、おごり高ぶる心」という意味の仏教の言葉です。そこから転じて、「我を張る」、「強情」などの意味で使われるようになり、さらにそういう態度が人に弱みを見せまいとする姿に見えるために、「耐え忍ぶこと。忍耐」という意味で使われるようになったようです。現在、「我慢」と言えば、この意味で使われることが一般的ですが、仏教には本来、「忍辱(にんにく)」という言葉があります。

 人生には、災難や苦難に見舞われたり、努力が報われなかったり、あるいは人と対立してしまったり、思いどおりにならないことが起きます。しかし、だからと言って、嘆いたり、恨んだりばかりして、マイナスの言葉を発していると、マイナスのイメージが心にたまり、感情が引きずられて、ますます自分が辛くなるだけになってしまいます。

 思いどおりにならないことは、自分だけでなく、誰にでもあることです。それが当然です。そのときに、その後の運命を分けるのが、忍辱という心の態度の如何です。

 思いどおりにならない現実に遭っても、嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、ぐっと堪えて、ひたすら前向きに辛抱強く、明るく笑顔で努力を続けていく、それが忍辱です。人生に無駄な努力は一つもない、これから自分が成長していくためにこの逆境があるのだと耐え、与えられた逆境に感謝をするぐらいの大きな気持ちをもつ。人と対立しても、卑屈になったり、怒ったり、感情に流されそうになるところをぐっと堪えて、その人の立場を慮ってみる。立場をかえて物事を見れば、視野が広がります。今まで見えなかったものが見えてきて、それが対立を融和へと変える糸口にもなります。

 思いどおりにならない現実の中でも、マイナスの感情に流されそうになる、そんな小さな自我にとらわれるのではなく、忍辱という心の態度を養って、自らを調えていく。それが、運命を好転させるためのコツであり、絶対条件であるということを、胸に刻んでおいてほしいと思います。(朝礼でのお話から)