平成28年12月

 先ほど、お釈迦様の成道に因んだ臘八摂心を坐り切り、この成道会の法要も、とてもスッキリした気持ちでお勤めすることができました。
 君たちは、私が坐禅をすることを当たり前と思うかもしれない。しかし、そうではない。毎週の早朝坐禅も、臘八摂心も、生徒諸君がいるから、私も坐ることができます。坐禅は実参実究、体験であり、体得です。坐るから、坐り続けるから、その意味がわかり、心を真っ直ぐにしようとすることができます。だから、生徒諸君と坐れることをありがたく思っています。
 さて、お釈迦様は、今から約2500年前、ヒマラヤ山脈の南、現在のネパールとインドとの国境付近に、カピラ国という小さな国を建てていた釈迦族の王子としてお生まれになりました。シッダルタと名付けられ、大切に育てられますが、成長するにつれ、老い、病み、そして死にゆく、避けることのできない運命にしだいに思い悩むようになります。そして29歳のとき、心の平安を求め、物質的に恵まれていた生活の一切を捨てて、出家をなさいます。
 当時のインドにおける出家者の修行法には、坐禅瞑想により精神を統一する禅定と肉体を苦しめる苦行とがありました。
 お釈迦様は、まず当時有名だった二人の仙人を相次いで訪ね、禅定を学びます。どちらもほどなくして仙人と同じレベルに達しますが、禅定中は安らかな境地になれても、禅定を離れるともとに戻ってしまいます。
 そのことに満足ができなかったお釈迦様は、次に苦行者の集まる苦行林に入ります。呼吸を止めたり、朝から晩まで一本足で立ち尽くしたり、様々な苦行を行い、最後は、死に至るほどの断食も試みたといいます。そうやって、肉体の力を弱めることで精神によりよき活動力が与えられるとするのが苦行です。しかし、身と心は一つですから、身を苦しめれば、かえって心は乱れてしまいます。
 苦行では心の平安を得られないことに気づいたお釈迦様は、苦行をやめる決心をします。そして、河の流れに身を清め、村の娘スジャータから乳糜(にゅうび:乳粥)の供養を受けて体力を回復すると、一本の菩提樹の下で結跏趺坐(けっかふざ)の坐禅に入ります。そして8日目、明けの明星が輝くのを見て、ついに成道、悟りを開かれました。それが臘月、すなわち12月の8日とされています。お釈迦様、35歳のときのことです。
 お釈迦様は、二人の仙人の禅定や苦行に6年間を費やしました。成道に至らなかったこれらの修行は、廻り道の無駄な修行であったようにも見えます。しかし、そうではありません。実際、禅定は仏教に取り入れられています。
 禅定も、苦行も極め尽くした。極め尽くしてなお、満足されなかったところに、お釈迦様の道を求める厳しさ、激しさがあります。先日の報告会で、天理大学柔道部の穴井監督が、「報われない努力はあっても、無駄な努力はない」と仰っていました。お釈迦様の禅定や苦行に対する努力も同じだと思います。それほどの6年間があったからこそ、菩提樹の下の坐禅によって、ついに機縁が熟し、明けの明星とともに、現実の苦しみとその原因理由、苦しみのなくなった状態、それに至る手段方法を悟ることができたのだと思います。これを「時節因縁の到来」と言います。
 学生である君たちには、その本分として学業があります。学業にも時節因縁の到来があります。成績が振るわないときには、途方に暮れたくもなります。しかし、ただ手を拱いていても時節因縁は到来しません。どうしていいのか「わからない」と言って何もしないのと、一歩前へ出て「わからない」ことが出てくるのとでは、同じ「わからない」でも意味が違います。後者の「わからない」にこそ、時節因縁の到来があります。
 一つひとつステップを踏みながら、君たちの「明日」は進化していきます。だから、スモール・ステップでかまわない。目の前に実現したい「明日」を描く。スモール・ステップであっても、行く手に壁の一つや二つは立ちはだかります。しかし、わからない問題があるなら、なおざりではなく懸命に考える。調べる。わかっていなかったところまで戻って復習してみる。毎日ノルマを決めて単語を覚えると決めたなら、どんなことがあっても、自分で自分に言い訳をつくることなくそれをやり抜く。たとえすぐに結果が出なくても、あきらめず懸命に努力を続けるその先に、時節因縁の到来があります。霧が晴れたように、新しい世界が見えてくるときがやってきます。

 成道会に因んで、時節因縁の到来を信じ、「明日をみつめて、今をひたすらに」努力をする、その決意をあらたにしてほしいと思います。(成道会のお話から)