
校長のおはなし
精霊祭を迎えて
7月10日は、学園にご縁のある物故者、亡くなられた方々のみ魂をこの祭壇にお迎えして、本学園理事長・宮下陽祐老師に導師をお務め頂き、諸君と共に御回向申し上げました。そして、たくさんの御花やお供え物を頂き、有難うございました。この品々は、世田谷区内・町田の施設に配られ、多くの方々から毎年、感謝されています。
人に喜びを与え、人に感謝される生き方ほど、素晴らしい事はありません。この良き伝統を永く続けていきたいと思います。
仏教には、お盆という行事があります。夏の一時期、ご先祖様のみ魂を自宅にお迎えして、親戚・縁者が集まり、一時を過ごすという心暖まる行事です。
ご先祖のみ魂にお参りする時、たくさんの無限の命が自分の中に凝縮している事に気づきます。お盆が「命の集い」と呼ばれる所以です。そして、傍らで賑やかに遊んでいる子供や孫にその命の 流れを見る事が出来ます。お盆は私達が、今は亡きご先祖の命と共に今、自分がここに在るのだという事を実感する一時なのです。
この宇宙には、約4千億もの太陽、星があると申します。それぞれの星が平均10個の惑星をひきつれているとすると、惑星の数は約4兆。その4兆の惑星の中にこの地球のように、ほどよい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつあるでしょう。多分、いくつもないでしょう。だからこの宇宙に地球のような水惑星があること自体が奇跡なのです。水惑星だからといって必ず、生命が発生するとは限りません。
ところが地球はある時、小さない生命が誕生しました。これも奇跡です。その小さな生命が数限りない試練を経て、人間にまで至ったのも奇跡です。そして、その人間の中にあなたがいるというのも奇跡です。こうして何億何兆もの奇跡が積み重なった結果、あなたも私も今、ここにこうしているのです。私達がいる、今、ただ生きている、というだけでも奇跡の中の奇跡なのです。だから、人間は奇跡そのもの、ですから人間は生きなければなりません。命のバトンに終わりはありません。みんなが生まれたその日に受け継いだバトンを握りしめて、命ある限り、走り続けるのです。進む道はグラウンドの様に平らな道ばかりではありません。山あり谷あり、苦しい事・辛い事・悲しい事がたくさんあります。
途中でバトンを投げ出したい時もあります。でも、投げ出せません。バトンは命だからです。生きている事を私たちは、当たり前と思っていてはいけません。人はたいてい、失って初めてものの価値に気づくのです。若さを失い、病に倒れて初めて、健康の素晴らしさを感じます。
だから、今生きている事に感謝しましよう。今の自分の境遇に感謝しましょう。失ってからでは遅すぎます。命あるうちに、今の自分に出来る事に向かって一歩を踏み出すことです。
心豊かに、生き生きと、元気一杯に一日一日を大切に生活して欲しいと思います。
これから暑さが厳しくなります。それぞれが健康に留意して、夏休みを有効に過ごして欲しいと思います。(夏休みを前にして)
平成22年7月
6月25日チベットのダライ・ラマ法王が来校され、講演をして頂きました。亡命された方々の気持ち、自分の国がないというどうしょうもない悲しみ、私達にはなかなか想像もできません。
チベットは元々独立した一つの平和な国でした。中国の侵攻により法王はやむなく亡命し、それ以来チベットは中国の一部としてチベット自治区と名付けられました。自分たちの文化を学び、受け継ぐために命の危険を覚悟して、ヒマラヤを越える人々が後を絶ちません。また、チベットの土地から資源が掘り起こされ、川や湖も汚染されたまま、これは、チベットだけの問題ではなく地球への警告といっても過言ではありません。
私達は知らず知らずのうちに、思いやり・協力・いたわりといった人間になくてはならない最も基本的なものを忘れるほど、物質的進歩に夢中になっています。そして私達は自分の苦しみの多くは、自分で作っていることを知らねばなりません。
法王は、「20世紀は流血の世紀であり、21世紀は、そのスタートこそ躓き気味ではありますが、慈悲と非暴力の種がきっと花開く、対話の世紀になるでしょう」と言っています。非暴力とは、問題に無関心でいる事ではありません。むしろ進んで、しっかり向き合う事なのです。この世に苦しみがあり、この世に悲劇がある限り、私達はそれを自分の問題として感じていかねばなりません。飢えている人がいるのに、自分だけ飽食してはいけないのです。心が痛む現実や他の人が苦しむ状況をしっかり見据えて、一人ひとりが考える事です。怒りや憎しみでは、痛々しい状況や問題は解決しません。思いやりと真の優しさ、そして許す心を持つ事、世界平和を持続する手段は、「思いやりによる許し」であると法王は話しています。学園の教育モットー「違いを認め合い、思いやりの心」を思い出して下さい。
チベットでは、生き仏・活仏として尊敬されている法王は、自身を「私は一介の僧侶である」とおっしゃっています。そして法王は常に寛容と慈悲の心を説き、自分自身の幸せだけでなく他者への思いやり、世界全体を優先して考えねばならないと話されています。「世界を変えるのに必要な力は私達自身にあり、全ての変化は私達の心から始まる」と述べています。宗教や国の違いを超えて法王の心に触れる機会を大切にして欲しいと思います。命ある者はすべて苦しみを望まず、永続する幸せを得たいと考えます。しかし祈るだけでは苦しみから離れる事はできません。苦しみには原因があり、その結果として現在が生じているからです。
私達は『無明』という原因から生じている苦しみ、悩み、それが正しい理解を妨げ、執着や怒り、憎しみや嫉妬などの煩悩に支配された未熟な心が、更に苦しみの連鎖を生み出しています。悩みが悩みを生じ、迷いが迷いを生み出し深みに入っていきます。
ダライ・ラマ法王は心の本質を正しくとらえ無知から解放されるためには「空」(色即是空の空です)空性を理解する智慧を育てる事が大事であると言います。それが「菩提心」と呼ばれる慈悲の心です。他を思いやり他者のために働く、これが「利他をなす」(Others before self)という事です。思いやりは想像力です。自分が話したこと行った事を相手がどう思うか、また他人の言動を見て相手が何を考えどう思っているかを想像する力を養って下さい。いじめや自殺を悲しむ声にも耳を傾け、その中に真実の姿を学ぶ必要があります。ただ祈るだけでなく自分で考えることです。知識は自分の心に変化をもたらします。
心の本質はニュートラルなもので、私達がどのように考えるかが問題なのです。大事な事は、偏見にとらわれない開かれた心と知性を持ち、実践していく事です、と法王は述べています。
人類は多くの可能性をもっています。そして善い事も悪い事もできるのです。また人類だけが生活様式を変える事ができます。他の動物にはできません。ですから私達は人間の能力と性質を理解し、正しい人間についての知識を得る事です。
21世紀に入り私達日本人、そしてヨーロッパ、アメリカのいわゆる先進国の人達は宗教を真摯に求め始めています。西洋や日本の得意とする工業技術などの物質文明、生活の豊かさだけでは人は完全に心の満足や幸せを手に入れる事はできないからです。
20世紀、近代科学がものすごいスピードで進み、今まで宗教の領域として見えない部分ですらドンドン解明されてきました。ところが世界の多くの宗教は今までどおりの旧態依然と教えを説き、科学の発達によって白日の下になった領域をそのままにしています。多くの既成宗教は単なる経済のシステムとしてしか機能しなくなったようにも思えます。また科学の発達は心の豊かさを確実に削ぎ落としていると言っても過言ではありません。にもかかわらず私達はその事に気づかず科学を信頼し続けています。宗教は地球にどんな役割を果たしていくのか、私達人類は何を未来に残せるのでしょうか。仏教はこの課題に答えられるのか真剣に考えねばならぬ問題です。
ダライ・ラマ法王は人間存在を「死」という観点からまずとらえ、更にその存在の苦しみを強く認識することによってその事を「生きるバネ」にしていこうとする考えを持っています。ですからこのバネが強く働かないと、ともすれば厭世思想に陥ってしまいます。平安期の日本にもそうした思想が一世を風靡しました。
法王は仏教の指導者として世界を巡り多くの人がその考え方に共鳴をしています。生きる為のバネとしての役割を果たそうとするダライ・ラマ法王との出逢いを大切にしたいと思います。
生徒諸君は、ダライ・ラマ法王の提唱しているチベット仏教の慈悲の精神、平和、非暴力、地球規模で考える愛と思いやり、心の平安、普遍的責任について耳を傾け、理解を深めて下さい。
21世紀を迎え、人類に課せられた諸問題、地球社会の平和、環境や貧困問題などについて、私達は今何をすべきか、自分は何ができるのかをしっかりと考えて欲しいと思います。豊かさを求めるあまり私達が見失ったものの大きさに気づき、心の軌道を修正すべき時がきています。心の変化は思考を変え、私達の行動を変えていくはずです。日常生活の中で、自分に向かって問い続けて下さい。「今、私がしていることは多くの人の役に立つのだろうか?」と。
平成22年6月
体育競技会も無事終了。来週には、Ⅰ期中間試験が始まります。学習モードに切り替え、しっかり頑張ってください。
さて世田谷学園は本年、創立109周年を迎えます。この度、世田谷の豪徳寺ご住職・粕川鉄禅老師のご支援により、チベットのダライ・ラマ法王14世をお招きして、記念講演をして頂くことになりました。法王は平成19年にも来校され、「21世紀を担う生徒諸君へのメッセージ」というタイトルでお話をされました。中学3年生以上は記憶していることと思います。
今回の来校は2回目で、学園の教育モットー「明日をみつめて今をひたすらに、違いを認め合って思いやりの心を」というタイトルで講演をして頂きます。
世界の屋根と呼ばれる、ヒマラヤ山脈の北部に広がるチベット高原。かつてそこに、広大な独立大国がありました。「雪の国、チベット」国土面積は日本の約6倍の250万キロ平方メートル。海抜は富士山よりも高く、およそ4千メートルに位置します。7世紀にインドから仏教が伝わって以来、チベットはお釈迦様の教えを精神的支柱に置き、独自の民族文化を開花させてきました。仏教国チベットの歴代の元首、それがダライ・ラマ法王です。
ダライ・ラマ法王は、「観音菩薩の生まれ変わり」と信じられ、政治的・精神的指導者としてチベット人から尊敬と信頼を寄せられてきました。「ダライ・ラマ」とは「大海の知恵」を意味し、現在のダライ・ラマ14世は、1935年7月6日チベットの東北部アムド地方(現・中国青海省)の小さな村に農家の子として生まれ、2歳の時に先代ダライ・ラマ13世の生まれ変わりと承認されました。1939年、チベットの首都ラサへ迎えられ、翌年ダライ・ラマ14世として正式に即位。ポタラ宮の王座に就き、6歳から僧院の英才教育を受けて育ち、24歳で仏教哲学最高位の博士号を取得しています。
仏教の非暴力思想が根付いた当時のチベット人は、第二次世界大戦中も戦争に加担することなく、中立の立場を守っていました。しかし戦後間もない1949年、文化大革命によって中国全土を支配下においた中国共産党の人民解放軍は、チベット人を解放するという名目のもとに、隣国チベットへの侵攻を開始しました。この時、人口の5分の1に相当する120万人のチベット人が死亡し、6259あった仏教寺院のほとんどが破壊されました。
中国がチベット侵攻を始めた時、ダライ・ラマ14世は弱冠15歳でした。1959年3月10日、法王の身を案じたラサ市民による一斉蜂起に対し、中国軍は更なる弾圧を行い、ついにダライ・ラマ14世は国外亡命を余儀なくされ、高度約7千メートルの厳寒のヒマラヤ山脈を越えてインドに向かったダライ・ラマ14世の後に続き、この年約8万人のチベット人が祖国を離れ、インド・ネパールなどへ亡命しています。
当時、NHKラジオのアナウンサーは叫ぶように ニュースを読んでいました。「ダライ・ラマが見つかりました。雪の山々、ヒマラヤ山中から発見されました。インド国境に到着するのを待って、インド政府はダライ・ラマを迎え入れる為に、使節団を派遣しました。中国政府は早速、非難声明を出し、速やかにチベットに戻るよう、呼びかけました。」まだ、TVのない時代の夕方のラジオニュース、1959年3月の出来事でした。それは、チベット民族のアイデンティティを守り抜き、自由の地で本物のチベット文化を保存していこうという悲願を込めての逃避行でした。
現在ダライ・ラマ14世は、インド北部ダラムサラにチベット亡命政府を樹立しています。亡命政府は未来を担う子供の教育に力を注ぎ、小学校から高校まで全寮制の学校を設置し、チベット語を始めとする伝統教科と英語を含む近代教科の無料教育がチベット人、インド人教師達によって熱心に営まれています。
ダライ・ラマ14世亡命後、チベット全域は完全に占領され、中国の植民地となった為に、今、地図帳を開いても「チベット」という国の名前を見つけることはできません。広大なチベット本土の一部は、現在「チベット自治区」と呼ばれています。しかし、チベット人による自由な自治は行われず、チベットの国旗やダライ・ラマ法王の写真を持つことも許されず、その名を呼ぶことさえ禁じられ、子供が「ダライ・ラマ法王の長寿をお祈りします」と囁くだけでも投獄され、処罰が下されます。こうした状況は21世紀を迎えた今も変わることなく、言論・宗教・集会を行ったとして監禁される僧や子供を含むチベット人が沢山いるとNGOチベット人権民主センターは伝えています。
チベットから自由が消えて50余年、迫害から逃れる為に祖国を離れる者は年間およそ3500名に上ります。その内、3分の1が13歳未満の幼い子供達です。チベット文化を自由に勉強できない我が子の未来を想い、ダライ・ラマ法王14世のもとで教育を受けさせることが最善の道だと決意する親は多く、懸命に貯めたお金を子供に持たせ、我が子と一生会えなくなること、そして亡命中に凍傷になることも覚悟した上で、幼い自分の子供をヒマラヤへ送り出しています。2008年私はダラムサラのTCV(Tibet Children Village)を訪ね、その子供達と逢ってきました。両親と別れ、案内役に預けられた子供は、素足やサンダル履きで3週間かけて万年雪を抱くヒマラヤ山脈をこえていきますが、その厳しい旅路の間に死亡する子供もいます。また亡命者が年々増加している為、インド、ネパールの難民受け入れセンターは常に満員状態にあると英国国営放送BBCは報道しています。
ダライ・ラマ14世は、例え武力攻撃に直面している時でも、絶えず非暴力による方策を提唱してきました。法王は、今も変わることなく非暴力の大切さを説き続け、中国と平和的に話し合う努力を重ねています。ダライ・ラマ14世は中道のアプローチをとり、政治的権限は中国に委ね、「慈悲の心」を尊重するチベット仏教文化の継承、存続を望む旨を伝えていますが、今のところ中国からの返答はありません。
高校生の世界史の資料集に、『世界の民族問題・地域紛争』というテーマの中にダライ・ラマ法王についての記載がありますので、高校生はそれを参考にしてください。
最近では、2010年2月18日バラク・オバマ米国大統領と法王は会談しています。(同日、ヒラリー・クリントン国務長官とも会談)会談で、オバマ大統領は「チベットの宗教や文化、言語のアイデンティティを守ることを強く支持する」と表明しました。また、ダライ・ラマ14世の中国政府に対する姿勢については「中庸のアプローチ」と評価しました。オバマ大統領とダライ・ラマ14世は、前向きで協調的な米中関係が重要であるとの意見で一致しました。多年に渡る弾圧に苦しめられているにも関わらず、チベット人は不撓不屈の精神で抵抗しています。1987年から1995年半ばまでに、中国政府の支配に反対して150を超える民衆デモがチベットで行われました。それでもなお、チベット人の苦闘は終わっていません。希求する自由は世界から、特にアジアからの支援があってこそ達成できるとチベット人は信じています。
ダライ・ラマ法王14世は今、世界が注目している方です。今度の来校を機に、チベットの歴史やノーベル平和賞を授与されたダライ・ラマ法王の非暴力の考え方・慈悲・優しさ・思いやりといった人間の価値、そして宗教間の調和、チベット問題の解決に努力している法王について、考えてみてください。その中には、チベットの環境問題も含まれます。
チベットには貴重な野生動物が生息し、森林、水源、鉱山などの資源の宝庫と言われています。未曾有の環境破壊が組織的に行われ、回復不能なダメージを与えています。近年のアジア諸国の洪水問題は、森林伐採による水脈の変化・影響によるものという説もあります。アジアの主要河川の水源は、もとを辿るとチベット、ヒマラヤ山脈にあるのです。
21世紀の中核を担う生徒諸君が、人類に課せられた諸問題、地球社会の平和、環境、貧困などについて、私達は今何をすべきか、自分は何ができるのか。そのことをしっかりと考えて欲しいと思います。
平成22年5月
GWが終わり、いよいよ学習に専念していることと思います。忍耐力・体力そして学力をつける、この目標に向かって頑張ってください。
人生は戦いの連続と言われています。途中でやめてしまえば、負けてしまう。最後まで、やり遂げれば勝てる。戦い抜くには、不断の努力が必要です。困難から逃げなければ、窮地を打開することができます。困難を乗り越えるには、気迫・気力が必要です。恐れていては、何も得られません。道を開いていくには、勇気が必要です。勿論、失敗することも沢山あります。諦めてしまえば、そこで終わりです。諦めなければ、流れは変わります。失敗を乗り越えて成功するには、粘り強さが必要です。
世の中には、3種類の人がいます。「夢を見る人、夢を壊す人、夢を実現する人」です。ある調査によると、アメリカの約2億人の大人のうち、夢を見る人が30%、夢を壊す人が65%、夢を実現する人が5%と言われています。約1千万人が夢を実現する人ということになります。志を立てて夢を見なければ、何も始まりません。夢を実現する人は、自分の夢をかなえるだけでなく、他人の夢の実現を助けます。
マイクロソフトの創始者、ビル・ゲイツ氏がその典型です。ビル・ゲイツが画期的なソフトを開発したお蔭で、世界中の大勢の人が恩恵を受けて、次々と夢を実現しました。ビル・ゲイツは世界一の億万長者ですが、自分の利益のみを追求する、エゴイストではありません。彼は福祉活動に私財を投じ、全世界の恵まれない人たちを支援しています。ビル・ゲイツのような億万長者にならなくても、社会貢献はできます。驕り高ぶることなく、高い志を持ち、謙虚な姿勢で社会に貢献することが、人として最も尊い生き方ではないかと、思います。
アメリカ・ミズリー州の小さな田舎町で幼少期を過ごした少年は、夢を見ることが大好きでした。そしてそれを絵で表現することを日課にしていました。ところが小学校の先生は、絵の才能を全く評価してくれませんでした。少年は、それでも夢を捨てずに絵を描き続け、そして22歳の時、ハリウッドに行き映画スタジオを作り、活動の拠点にしました。この人物の本名は、ウォルター・イライアス・ディズニーと言います。
W・ディズニーの偉業の一つは、ワニの生息する広大な湿地帯を埋め立て、そこに魔法の国を作るという壮大な夢を実現したことです。フロリダにあるディズニー・ワールドは、何年もかけてでき上がりました。一人の少年が心の中で抱いていた夢が人類史上、最大のテーマパークを生み出し、世代を超えて、大勢の人に感動を与え続けています。
最初は空想であってもいいのです。誰からも相手にされなくてもいいのです。夢を明確にイメージしていくことによって、それはやがて実現していくのです。
志を立てて進む人と、志の無い人とでは大きな差がでてきます。志あるところに道は必ず開かれていきます。一歩一歩、目標に向かって、進んでいってください。毎日毎日の目標が努力を引き出してくれます。どんな大きな川でも「渡る」という志をシッカリ持ち続ければ、後の工夫が生まれてきます。
ダライ・ラマ法王十四世は、「世界平和をいくら祈っても、祈るだけで何も行動しなければ、実現はしない。目の前に苦しんでいる人がいれば、その人の為に何らかの行動をしなければ、その心は本物ではない。理不尽なことがおこなわれている時、祈ることしかできないが、祈っただけでは問題は解決しない。行動につながらない祈りは、本物の祈りではない。」と言っています。
自転車はこぎ続ければ、倒れません。行動し続ける限り、後退はしません。後退するのは何もしないことです。誰かが喜んでくれる生き方、人に喜ばれる行動を実行して欲しいと思います。
平成22年4月
四月、新学期を迎え新入生の姿が初々しい。折しも四月八日はお釈迦さまの誕生日、この日に入学式をするところは多い。明日をみつめて今をひたすらに、違いを認め合って思いやりの心を大切に、大きく育って欲しい。
昨年来、新型インフルエンザ禍に見舞われたが、人はどこも痛くないという当たり前のことが病気になって初めて「幸せ」を感じる。今までできなかったことが自分でできるようになって知る「幸せ」もある
「人間の幸福を実現するための経済をつくりあげる。」と政府は述べ、市場原理主義の転換を宣言したが、過去の例からして成長戦略の中に幸せはあっただろうか。確かに先進国の経済は豊かになったが、その物質的豊かさの中に幸せはあるのだろうか。スピード・効率化・便利さは更に進むことだろう。それは人間の限りない欲望を追求するだけで、文明の押売りは人を幸せにはしない。豊かさと幸せとを混同してきたのが過去の歴史ではなかろうか。人は一度、豊かさの味を知ると後戻りできない。豊かさの中で、どう自分をコントロールできるのか。自律した生活はなま易しくはない。
聖書には、「受けるより与える方が幸せである。」とあるが、人は何かしてもらうと一時的に満足感を得るが、更に「もっともっと」と期待する。わずかなことでも自分が人にしてあげられることをした時、相手の喜ぶ顔を見た時、人は「幸せ」を感じる。そうした体験をされた方はたくさんいることだろう。人の痛みを感じられる人、共に楽しめる人が育って欲しい。世界中で子どもが幸せな国は素晴らしい国だから。
飢えている人の隣で腹一杯食べて、食べ残した物を棄てて平然としている人間を育ててはいけない。子どもや老人をお金が稼げない価値のない人間とみなすような社会をつくってはならない。体力・知力・環境などで人はそれぞれ違いがあり、同時に高齢化はすべての人が避けて通ることはできない。今自分ができることは何かを一人ひとりが考え、集中力と機動力を発揮する時ではないのか。時代の変化に対応する力、失敗を恐れず果敢に挑戦する情熱を持ちたい。それらは本来すべての人がみな持っている能力だからだ。
人類の前に立ちはだかる地球環境の諸問題はみな私たち人間が作り出したものである。「おれが、おれが」とか「もっともっと」という心の持ち方を改めて、「ありがたい、もったいない」という心で毎日送れば、世の中は明るくなるだろう。金儲けと効率に心を奪われている国は自滅するしかない。古い教えではあるが「忍の徳たること持戒苦行も及ばざるが如し。」「足ることを知れば誰しも福の神。」を思い起こして、社会に明るさを取り戻す一助としたい。
