
校長のおはなし
平成22年3月
瞬く間に一年が過ぎ、平成21年度が終わろうとしています。新年度に向けてそれぞれが志を新たに、目標を定め学習生活を送っていることと思います。
中学校舎の名称を「発心館」と名付けていますが、「発心」とは、発願すること。「願い」をたてることです。道元禅師は「切なる思いは必ずとぐるなり」、「古人必ずしも金骨に非ず」と言われ、私たちを激励しています。最初から完璧な人はいません。実行しなければ、発願・発心しなければ、何も生まれてはこないのです。人生にとって大事なことは、自分の考えを持つこと、やる気を出すことです。そして違いを認めるということは、まず自分の考えを持つことです。
人間力ということがよく言われますが、人間力とは何か、人間の総合的な力とは何か。知識や技能、あるいは教養そして実行力・徳性といった要素を総合的に練り上げ結晶したもの。それが人間力であろうと思われます。中には金の力、金力・財力・地位も人間力の要素の一つと言う人もいます。しかし、それらをすべて失ってもなお輝きを失わぬ人間の力こそ人間力と言うべきだと思います。
では、その人間力を養うには何が必要か、根本になくてはならないのは、憤の一字です。孔子は「憤せざれば啓せず」と言いました。その憤です。いろいろな物事に出会い、人物に出会い、発憤し感激し、自分の理想に向かって向上心を燃やしていく心、自分の理想に向かって向上心を燃やしていく心、それを根本に持たない人に人間力はついてきません。よしやるぞという気持ちです。
次に大事なのは志です。夢と言っても良い、いかなる志、夢を持っているか、その内容のレベルが人間を大きくも小さくもする、厚みのある人か薄っぺらな人か、軽重が問われます。
第三は与えられた場で全力を尽くすことです。大事なのは与えられた縁をどう受けとめるかです。そして如何にその縁を生かし創造していくかということ。一つの縁を起点としてよい結果を構築していくことです。良き人に交わり、良き縁を発展させ心を養い真実の学びを学び続ける人生を心がけたい。そして変化に対応する柔軟な心を持つことです。
人間力という言葉は辞書にはありません。しかし京都大学の元総長・平沢先生は「知識ではなく、その人の体全体からにじみ出る味わいで、その人物がわかる。またそういう人にならなければなりません。」と言われていました。体全体からにじみ出る味わい、それこそが人間力のことだと思います。
人間には30数度の体温があります。その吐息が熱いように、燃えている時が生きている時なのです。燃えなくなった人間は、生きている事を放棄しているに等しいのです。最近は、冷めている人間が多いようですが、燃えない人間には生きる資格はない、と言ってもいいかもしれません。その人間がどう生きたかは、何にどうときめいたか、何にどう燃えたかの度合いによるのです。初めは誰もが凡俗の輩ですが、行動を起こしてのち、先駆者となるかリーダーとなれるか、どうかなのです。
その気概を胸に抱くことができるのが若者である君たちなのです。諸君たちが学校を変えていく「主人公」なのです。人間はどのような志を持っているかによって人生が決まるのです。志の高低がその人の人生を決定するからです。溌溂颯爽として、いつも気持ちを爽やかに、心の雑草を取り除き、心の花を咲かせるよう努力して欲しいと思います。
平成22年2月 涅槃会
2月15日は、お釈迦様の亡くなられた日です。全校朝礼においてその法要を営みます。お釈迦様の教えに出会い、言葉に接し、それを自らの生き方の指針とする喜びと、感謝の気持ちを持って生活して欲しいと思います。
「花開いて仏を見る」という言葉があります。花はそれぞれ形や色は違います。どんな花も美しく一生懸命に咲いています。誰かに見てもらおうと、思っているのではなく、只ひたすらに咲き、見る人の心を和ませてくれます。その無心に咲き、人の心を癒してくれる姿に仏様のような清らかさを覚えます。
人間は誰しも他人から良い評価を受けたいという心の働きがあります。従って、人に褒められれば嬉しくなり、酷評されれば不快になり、花のように無心に生きることは難しいものです。その花も永遠に同じ美を持つことは出来ません。刻々と変化する様を眺めていますと、人間の一生を短く象徴しているように思います。
どんな美しい花にも種から成長するまでには、色々の過程を経て咲きます。「ローマは一日にして成らず」という言葉がありますが、花の姿から「何事も一日にして成らず」ということを教えられます。華やかに生活している人も、その過去には必ず辛い時、苦しい時があったはずです。人生を振り返ってみれば、誰しも「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、苦は楽の種、楽は苦の種」の如く、因果の法則の中に生きているのです。また、美しく咲いている花には」、外から見えない土の下で、根が養分を吸収し、命を支えてくれている「陰の力」があります。根は日の目を見ずに、花を咲かせる為に働いてくれています。また花は人から愛でられることがありますが、根を褒め、根に感謝する人は少ないと思います。私たちは根からも無償の愛の尊さを教えられます。諸君にとって、その根とは誰であるかを考えてみて下さい。何事もその存在の陰には、それを支える力が必ずある事を認識しなければなりません。自分が 生きている時、陰の力に感謝しなければなりません。それを日本語で表現すると、「おかげさま」という言葉になります。この言葉をよく噛みしめて下さい。
今一輪の花を眺めながら無心に生きる姿を学びました。また人生を重ね合わせてみる事が出来ました。自分の存在や学校や社会の仕組み・成り立ちも陰の力によって支えられていることを教えられました。
涅槃会にあたり、理想的な人格を自覚をした釈尊を偲び、花のように私利私欲を持たず、人の為に尽くす人間になって欲しいと思います。
平成22年2月
本日(2月1日)から、いよいよ中学入試がスタートしました。受験生の皆さん、今までに続けてきた努力を信じて入学試験に臨んで下さい。インフルエンザの流行などが、心配されていましたが、1次試験では体調が悪い受験生は出ておりません。まだまだ油断は禁物ですが、健康に留意して受験期間を無事に乗り切ってくれることを、教職員一同願っております。
時には不安を感じることがあるかもしれません。しかし、自分を信じて最後まであきらめないで、持てる力を充分に出し切って頑張ることです。君たちが、世田谷学園に入学することを楽しみにしています。
平成22年1月
2010年、明けましておめでとうございます。
新年を迎え、それぞれが自分の希望・目標・夢に向かって志高く、ひたすら努力することを誓ったことと思います。
平成22年の干支は庚寅(かのえ・とら)、俗にいうトラ年です。トラ・寅の象形文字は相対して手を差し伸べていることを表しています。つまり、志を同じくする人々が一致協力して新しい創造的な活動を始めること、規律や道義に則って、前進発展していくことを教えています。
一年の計は元旦にあり、一日の計は早朝にありといいます。一日一日を大切に今日なすべきことは 予定通り、キチンと今日実行して下さい。志を立てたならば、最後まで諦めず、やり通すこと、持続することが大切です。花は一瞬にして咲くことはありません。木は瞬時に実を結ぶものではありません。
嫌なこと 、辛いこと、恐ろしいことの多い世の中で自分は一体何をすればいいのか、しっかりと考えてみて下さい。乱れ飛ぶ情報過多の社会に惑わされることなく、自分の目標・夢に向かって、只ひたすらに打ち込むことが何よりも大切です。世の中が乱れたからといって、すべての人が乱れている訳ではありません。要は今ここで、自分がやらなければならないことを最優先にしっかりと自分のやるべきことをやり、そして社会に貢献することです。情報に流されて、自分を見失うことは愚かなことです。こんな社会だからこそ、「脚下照顧」まず自分の足元をしっかり見つめ、地に足をつけて一歩一歩自分の道を着実に実行していくことです。
自分の目標達成・成就する為に欠かせぬことの第一は、「根気」です。何があってもやめずに続けること、やり通すことです。そして根気と対をなすものが、「熱中」することです。損得を忘れて熱中する、寝ても覚めてもやり通すこと、そこに開発力や創造力が芽吹いてきます。
世間には高い能力を備えながら、心が伴わないために、道を誤る人が少なくありません。才覚が人並み以上であればあるほど、正しい方向に導く羅針盤が必要です。その指針となるのが、理念や思想であり、哲学でもあります。若い時にしっかりと、根を張り巡らし人格という木の幹を太く、真っ直ぐに成長させなければなりません。人間として正しい道を歩いているのかどうか、ということです。親から子へ語り継がれてきたシンプルで根本的な教え、それは嘘をつかないこと、人に迷惑をかけないこと、正直であれ、欲張るな、自分のことばかり考えるな、人の痛みのわかる人間になれ、誰もが知っている当たり前のことです。しかし大人になるにつれて忘れてしまうのです。単純なルールを生きる指針として判断基準とすべきなのです。人間としての本来あるべき姿は、とてもシンプルなものです。倫理や道徳は時代遅れの錆ついた考え、という人がいます。現代の人は、かつて生活の中から編み出された様々の叡智を古臭いという理由で排除し、便利さを優先するあまり大切なものを失ってきました。今こそ人間としての根本の原理原則に立ち返り、それに沿って一日一日を確かに生きることが求められています。
私たち一人ひとりが、そのように心がけることにより、それぞれの人生がより充実したものとなり、社会もより心豊かで潤いのあるものになっていくと私は思います。
こんな話があります。アヒルの子供として育った白鳥の子は、自分をアヒルだと思い込んでいました。みんなと違う劣ったアヒルだと思っていました。みんなと同じようになりたいのに、なれない自分が悲しかった。もし他のアヒルに仲間はずれにされなかったら、そのアヒルの子は、自分が白鳥とは気がつかずに一生みにくいアヒルで終わったかもしれません。
インドに古くから伝わるヨガの説くところでは、私たち人間が犯す最大の過ちは、自分で自分を小さくしてしまうことだといわれています。最新の科学で、私たちが通常使っている脳の機能は、その潜在能力のわずか2%に過ぎないと推測されています。自分にはまだまだ可能性が十分にあるのです。「一般的には~」とか、「普通は~」といった尺度では測りきれない可能性があるのです。自分の努力を信じた者だけが、自分が白鳥であることに気づき、その優雅な姿で大空へ羽ばたくことができるのです。98%の可能性を信じて、2010年を創造的に発展の年とするよう、頑張りましょう。(朝礼の話から)
平成21年12月
お釈迦様が6年間の苦行の後、尼連禅河に沐浴し、スジャータという娘から乳粥の供養を受けられ、ピッパラ樹(菩提樹)の下に草刈の少年から分けてもらった草を敷いて、「我いま証を得られぬならば、生きてこの座を立たず」と、おっしゃって、そこに座する事7昼夜、諸々の天魔の囁きを降伏して、第8日目の暁、明けの明星の煌きを一見されて成道されました。この時こそ、12月8日の暁であったと伝えられています。
お釈迦様は成道なされて後もなお、21日の間そのまま悟りの座にあり、ご自身の覚られた法を私達のために、どのような方法で説いたら良いか、と考えました。
一時説く事を止めようかと思われたと言われています。しかし、梵天の願いを聞き入れ、また衆生に対する慈悲心から、その法を説き弘める事を決断されました。
仏より仏に、祖師より祖師へと、あますところなく伝えられているのが、禅の伝統なのです。
達磨大師は、このお釈迦様より伝えられた法を中国に伝え、達磨大師もまた「面壁9年」と言われるように、壁に向かって坐禅をされました。今、私たちもまたひたすら坐禅をしています。
12月1日より8日まで、本学園では、自由参加による臘八摂心がおこなわれ、大勢の生徒諸君、先生、卒業生、近隣の方々が自主的に参加しています。
孔子は「憤せざれば、啓せず」と申しました。発心する事、やる気を起こす事、これが学道において、最も大切な事です。中学校の校舎を「発心館」といいますが、その思いが込められたネーミングなのです。
仏教の教えを易しく説いた「七仏通誡偈」という漢詩が生徒手帳に載っています。
諸悪莫作 衆善奉行
自浄其意 是諸仏教
諸の悪を作ることなかれ、諸の善を行いなさい、
そして、その時その心を浄くしなさい、これが諸仏の教えです。
「悪い事をするな、良い行いをしなさい。」
「三歳の童子知ると言えども、八十の老翁も行い難し」
言うは易く、行い難しであります。
善をなすにしても、自浄其意(自ら其の意を清くする)と言うように、良いおこないをする時、その心を清く保つという事、これが肝心なのです。悪い事は断じてやらぬ、という強い気概を持ってもらいたい。生活が乱れていると心が乱れる、心が乱れていると善悪の判断が甘くなる。生活習慣をしっかり身につけて欲しいと思います。
同じ良いおこないでも、人が見ているから、誉められるからおこなう、やらないと叱られるから、下心があったり、利害損得を考えてやる、これでは折角の良いおこないも汚れてしまいます。交換条件のおこないは、善行とは言えません。「利行は一方なり」というように、ただひたすら、良いと思った事を実行する、損得抜きでおこなう事です。
母親が子供を育てる時、無条件で可愛がるように。この子が成長したら親孝行をしてくれるであろう事を期待して、育てている親はいないはずです。子供に対する愛情は無条件なのです。
良い行い(善行)とは、自浄其意、その心を浄くする事、人が見ていようが、見ていなかろうが、陰日向なく行う事、これが「主人公の行為」なのです。これがお釈迦様の教えなのです。
私たちが教えに従って実行する時、お釈迦様は時空を超えて、この世に現成します。
「如来の法身常にいまして、しかも滅せざるなり」と言われるように、生徒諸君一人一人が、みな元々、如来様だからです。
